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日本人はいつから牛乳を飲んでいた?

MILK通信II ほわいと(2003・夏号より)

人類はいつ頃から乳を利用するようになったのでしょうか。6000年くらい前の古代メソポタミアの壁画には、乳搾りや乳の利用の様子が描かれています。日本には、6世紀頃、朝鮮半島を経て伝わったといわれています。

飛鳥・平安時代は天皇の薬

百済からきた智聡は、医学書や経典と一緒に、牛乳の薬効や牛の飼育法が書かれた書物を持参しました。これにより、日本人は搾乳や牛乳について知るようになったようです。

大化の改新の頃、智聡の子、善那が孝徳天皇に牛乳を献上したところ、天皇は「牛乳は人の体をよくする薬である」とたいそう喜ばれ、善那に医者として牛乳を管理する者という、「和薬使主(やまとくすしのおみ)」の称号を与えました。

これがわが国の牛乳飲用のはじまりとされています。

乳製品は税だった

薬用として貴重だった牛乳は、京都や奈良を中心にできた「乳戸(にゅうこ)」と呼ばれた酪農家から、毎日2,300mlも天皇一家に納められるようになりました。

関東から九州まで、酪農が広まって搾乳量が増えると、牛乳を10分の1に煮詰めた「蘇(そ)」を税として納める「貢蘇(こうそ)」の制度が927年にできました。

やがて平安貴族の藤原家にも蘇の利用は広まり、天皇一家だけではなく、貴族の健康維持や病気の回復に薬として重宝されました。

世界一長い小説「源氏物語」を書いた紫式部のパワーも、牛乳や蘇のおかげかもしれません。

しかし平安末期になると武士の台頭とともに朝廷の力も弱くなり、牛より軍馬の生産に力が注がれるようになったために、貢蘇の制度もすたれていったのです。


江戸時代、八代将軍吉宗の白牛酪

徳川吉宗は、オランダ人獣医から馬の治療用に牛乳やバターがよいことを勧められ、インドから白牛3頭を輸入しました。
千葉の嶺岡牧場で飼育させ、これが近代酪農のはじまりとされています。

この牛乳から作った蘇を「白牛酪(はくぎゅうらく)」といい、将軍や大名の食膳に供せられ、滋養強壮剤として珍重されました。

江戸時代末期、外国人を見た前田留吉は、大きな体格を作るのは牛乳だと考え、横浜で牛の飼育と搾乳を始め、牛乳を販売するようになりました。

これが日本人による牛乳販売のはじまりです。


明治時代の牛乳は文明開化の先端

明治4年に、天皇が牛乳を毎日2回ずつ飲んでいることが新聞に載ると、国民の間にも牛乳飲用が次第に広まりました。世の中は文明開化一色となり、何事にも欧米を真似するようになりました。

東京では、大名・旗本の屋敷跡で牛を飼い、牛乳を販売することは、収入を失った武士たちの転換事業となったようです。
公爵や子爵が牛乳屋を経営し、配達員が大きな缶で一軒一軒計り売りをするというのがその頃の状況でした。

やがて、容器も180ml のブリキ製の缶から瀬戸物のびん、ガラスびんへと変わってきました。

こうして、酪農の発展と製造技術の進歩で広く普及した牛乳は、いまや私たちの生活に欠かせない食品となっています。


MILK通信II ほわいと(2003・夏号より)

2003年8月1日

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