第1回酪農乳業セミナー「消費者との信頼を強めるために」報告

平成24年4月20日開催 第1回酪農乳業セミナー開催報告
ページ下部より講演資料をダウンロードしてご覧ください。

高野瀬会長挨拶

放射性物質問題における牛乳乳製品の安全安心の問題については、この4月から次のステージに移った。事故後の緊急的な対応の暫定規制値からより一層、食品の安全と安心を確保するために長期的な観点から新しい基準値が設定された。私どもJミルクでは放射性物質対策連絡会を昨年の事故後から立ち上げ、牧草、原料乳段階から消費者までのミルクサプライチェーンの連携を蜜にして、当協会会員である酪農生産者、乳業者、販売店の全国団体を中心にこれまでも定期的に、また緊急的に協議の場面を設定し、この問題に対応してきた。最近では、次の3つのところが課題になっている。
  1つ目は酪農生産者段階の食の安全安心として、風評対応や除染がなかなか進まない中での現状課題である。特に、牧草管理問題等で、ご苦労されている酪農生産者の方々に対し、我々がどう理解し、どう支援していくかが課題になっている。2つ目が二重基準の拡大の懸念である。3つ目が放射性物質「0」を求める消費者からの、我々酪農生産者、乳業者への不信感の払拭である。業界としてしっかりこれらの課題に向き合うことが必要だと思っている。今回そのために、第1回酪農乳業セミナーを新年度のスタートに合わせ、または新基準値以降のこの4月で企画した。
  これまでの業界の議論の中で私達が認識しているのは、2つのポイントがある。1つ目はどのように「消費者とコミュニケーションをしていくか」。2つ目のポイントとしては、消費者の視点に立って、酪農乳業に関わる我々からの「情報発信の大切さ」「どうすれば消費者から、我々が信頼されるか」である。これらのポイントを主眼として、今回のセミナーを開催する。

ページのトップへ

第一部 「消費者のリスク認知と信頼」  同志社大学心理学部 中谷内一也教授

1.一般人のリスク認識の基盤
  安全とか安心という言葉がしばしば出てくるが、その意味は日常的に使う言葉と同じである。安全は実態として死ぬ人が少ない、長生きできるとか、病気にならないという客観的な現実の問題である。それに対して、安心というのは、主観的な問題である。安全であると思っている心の状態。実態として危険を下げる、安全性を高める。それによって、消費者に安心してもらう。これが安全安心社会です。その正攻法とは何か、道筋は何かというと、皆さんの場合では、牛乳乳製品を安全なものを作る。製品から流通販売、消費者の食卓に上がるまで安全な状態を実現すること。それらを実現した上で、そのことを消費者に伝えて、理解してもらって、「ああ、大丈夫だ」と、つまり、安全を高めて、その結果、それを伝えて、安心してもらう、というのが正攻法。どうもその正攻法というのは、難しいように感じる。
  一つ例を上げます。我が国の食中毒死亡者数の推移で説明します。1960年前後、当時の日本の人口10万人当たりに換算すると、0.27人食中毒で亡くなっていた。それから20年後には、0.017人。さらに20年後の2000年前後、0.004人です。実態としての食の安全は向上しています。桁違いに安全になっています。今日の日本が豊かな食生活を享受していることは、殆どの日本人が知っていることです。実態として安全になって、そのことが理解されて、それなのに食への不安が高まっているというのであれば、「実態としての安全を高めて理解してもらって、その結果安心してもらう」という正攻法が時間をかけてもうまくいっていないということになると思う。日本は豊かな食生活をし、平均寿命は長いというのは伝わっている。でも、安心できるかというとそうでもない。正攻法はなかなか機能してしない。逆は言える。何かがあって、食中毒がある食品が出て、人が死んだ。そのことが伝わると不安が高まって、誰も買わなくなる。逆方向は伝わる。けれども一生懸命、プラスのほうで矢印がつながるか、つながるように努力して実を結ぶかはダメではないが、そううまくはいかない。そのなぜかを考えたい。答えはいろいろあるが、どうやら、私たちが安心する心の基盤と、専門家、業界、政府が安全ですと表現するときの根拠がずれているわけです。そこでリスク概念、安全の基盤というのが、リスクを評価して安全を図ろうということだから、リスク概念とは何かと検討して、それが安心の心の基盤と整合しない、一致しないという様子を見る必要がある。
  「二重過程理論」というモデルがあります。簡単にいうと、人には2つの情報処理システムが備わっており、「システム1」は、拙速、つまり、とても素早く答えを出す。何によってリアリティを得るかというと、イメージや物語、個別の事例によってリアリティを得るというもの。すぐに判断する。分析的ではなく、直感的に判断する。それは目の前に示される映像とか、起承転結がある物語、個別の事例でリアリティを得る。
  「システム2」は、遅い、時間がかかって、しかも意識的に判断しないといけない、意識的な演算をする。けれどもその分、緻密な、精密な答えが帰ってくる。論理的であり、分析的である検証。数字、統計的な指標、これらでリアリティを得る。その両方あるからこそ、難しかったり、両方あるからこそ、うまく適応できたりする。誰にも両方のシステムが備わっている。けれども、私たちの日常的な判断や、意思決定、行為決定ではどっちが優勢かというと、「システム1」。素早く答えを出して、イメージや物語、個別事例によって、なるほどと思う。「システム2」だけで生きているような人は少ない。両方あって、頭の中でそれが葛藤している。が、どっちが強いかというと「システム1」だというのが「二重過程理論」です。
  今日の安全評価、安全管理の基本は、統計的な概念です。リスクとは一定の集団を対象にする統計的な概念です。特に専門家にとっての安全評価の基準というのは、統計データに基づいたリスク評価です。食品に含まれる放射線の安全を議論するときに、個人によって基準が変わることはありえない。あってはいけない。むしろ特定の個人を考えないということは、ある意味非常に平等です。一般性を重視する。こういうのは「システム2」の成果です。ところが、私たちが、「あれは安全、これは危険、これはやめておこう」と思うのは、むしろ「システム1」です。もう一つは、個人にとっては体も命も一回性のものです。そういう意味では、1回性のものである自分の健康、体というものを集団を対象としたリスク管理者の視点で安全がどうと言われていても理解はできても、直感的な感情とは簡単に対応しないということが言える。なぜ安全な状況を達成しても、安心してもらえないか、というと、安全というのは統計的な情報で、安心はそれに対して1回性の人生です。人生は一度しかない。あるいは、1人しかない自分の子供の命を考えるから、乖離します。 
 
2.リスク認知モデルの一例
  「リスク認知」を説明する様々なモデルとして、「リスク認知の2因子」モデルがある。リスクとは何かというと確率。対象がたくさんあって、ある状況に当てはまるのがいくつかという「確率」と、「望ましくない自体の深刻さ」の2つで定義されます。私たち一般人が、嫌だというとか、いいと思うということは何らかの判断基準があります。その判断基準は「確率」や「望ましくなさの程度、深刻さ」の程度ではないとしたら何だろう。それに対して一つの答えが「リスク認知の2因子」です。
  一つ目が「恐ろしさ因子」です。これは致死的で世界規模の惨事をもたらす潜在力があり、制御困難で、将来世代への悪影響が懸念されることです。さらされ方が不平等でしかも自発的にさらされる、という評価が一塊になっています。
  もう一つが「未知性因子」です。後から影響が現れる。外部からは観察できない。本人にも五感で感知することができない。あまり聞いたことがない。馴染みがない。科学的にもわかっていない。新しいという要素です。これは本人は感知できないが、科学的によくわかっている。新しくない。昔からあるが、影響は後から出てくる、というものです。世の中にはそういうものがいくらでもあるが、頭の中ではこれは一緒くたになりやすいし、こういう要素をたくさんもっていると、未知性が高い。訳がわからずに気持ちが悪いという感情を引き起こされます。特に、「未知性因子」が高い要素に関しては、今何か問題があっても1人か2人の小さい問題かもしれないが、将来深刻な事態になる予兆だと捉えられやすい。こちらの「恐ろしさ因子」は、行政とか政府に厳しい規制を敷いて欲しいと思う。そういう気持ちと強く結びついているとわかっています。食品による内部被曝に関してナーバスになるのは、やはり「未知性因子」に当てはまるところが多いと思います。
  次に「一次的バイアス」である。私たちは、リスクを過大評価する。つまり、非常に頻度が低いもの、確率が低いもの、もっと言うとリスクの低いものはどっちかというと過大評価する。逆に専門家から見るともっと警戒しなくてはいけない、多いのに、そういう頻度の多い、確率の高い、リスクの高いものについては私たちは過小評価する傾向がある。というのが「一次的バイアス」。まず確率の判断で最初に出てくるバイアスだから「一次的バイアス」。リスクの因子がこれです。
  「ヒューリスティック」というのは、エイヤッという判断です。私たちが日常判断する時は、二重過程理論の「システム1」に則り判断する。判断するときのやり方は、ぐちゃぐちゃではなくそれなりのルールがあり、そのルールのことを「ヒューリスティック」と呼びます。「調整と係留のヒューリスティック」を、去年の地震の津波についての調査結果(地震の1年前と1ヶ月後)を例に説明します。地震で、2万人近くなくなったうちの9割は津波での水死です。1ヶ月後の調査で、ちょっとした津波でもみんな大慌てで逃げるようになっただろうと思うがむしろ逆です。なぜかというと、地震時の大きい数字に引きずられて、評価基準がインフレを起こしてしまった。最大値を強調しすぎることで、人の警戒心を弱めてしまった、と解釈できます。実際は50㎝の津波で立っていられない。まして1mというと手に負えない。今回の地震時も一番最初の津波警報は3mだった。そうすると実際には3mどころか、10何mのが来た。それに対して警報の出し方が批判された。業界の人でもあれはありえない。速報値を見たら、どれだけの地震の規模かわかっていて、震源地もすぐわかる。それを考えて3mで収まるわけないと解る。なぜ最初に3mと出したかというと、大津波警報の始まるのが3m。デフォルトの3mを出してアップデートしていった。6mとか9mとか。ところがアップデートしていくうちに停電で、その情報が伝わらなくなった。実際に来たのは10何mの津波がきた。あれは一番最初の警報が甘いと批判された。でも、その批判の仕方は的外れの面がある。「最初から3mと言われなければ!」というが、実は3mでもその人の家は潰れている可能性が高い。流れていくようなところになる。それを考えると2m、1mの津波を舐めてはいけないが、かえってあのような被害なった。
  変な名前ですが、「調整と係留のヒューリスティックス」というのは直訳ですが、たまたま目にした、初期値に「係留」してしまう。そこに錨を下ろしてしまう。その後の情報が十分に利用されない。せっかくその後の後続情報が入っても、「調整」が不十分である、ということです。リスク評価とは常に暫定的です。答えが実測値と照らし合わせることはなかなかできないから、暫定的なものが後続する情報によってちょっとずつ確度を高めていった時にはもう聞いてもらえない、というようなことになってしまう可能性が「調整と係留のヒューリスティックス」は教えてくれている。悩ましいところです。 
 
3.信頼は何によって決まるのか。 
  では、なぜ安全が安心に結びつかないか。言っている内容からして確かに安全だと思う。けれどもその言っているあなたが信頼出来ないから、というのがある。信頼というのは何によって決まるのか。
  何が信頼をもたらすかということをまとめると、「能力認知」専門的な知識、経験、能力、資格の要素と、「動機づけ・意図認知」一生懸命やる、真面目である、誠実であるという要素。この二つの要素で信頼が構築される。今日までこの知見は正しいと実証されています。まとめると、信頼は、価値を共有しているという認識次第で決まっていた。科学的な技術や、専門的な技術力を振りかざしても信頼回復には繋がらないんじゃないか。当たり前と思うかもしれないが、この感性にハマりやすいのが専門家です。専門家が一生懸命専門的に説明しようとするのが当たり前です。しかし、同じ目線に立っているということが結構大事です。特に、本来であれば専門性、知識とか舵取りが大事な人に対してでもそれを振りかざしても必ずしも信頼には結びつかない。同じ目線に立って、目標を共有している、ということを確認する作業が信頼を回復するし、コミュニケーションを改善し、期待できます。
  価値の共有を何によって納得してもらえるのか。実は同じ方向を向いている、というのを何によって理解してもらえるか、というのはとても難しい。というのは、「能力認知」と「動機づけ・意図認知」により「信頼」改善するモデルの方が楽である。専門的な知識、技術力を高めよう。そしたらいつか信頼してもらえるだろう。一生懸命やっていたらいつかは信頼してもらえるだろう。まだ、明るい、前向きでいられるが、こういうので会社というのは所詮金儲けのためにやっているんだ、消費者からは、銭を巻き上げるのがあの人の目的だ、とレッテルを貼られると、いくら専門技術を高めようが、一生懸命やろうが、効果が低い。
  主要価値類似性モデルでは、主要価値(ある問題に対処するとき、問題をどうように見立て、何を重視するかということ)と相手が当該問題にかかわる主要な価値を自分と共有していると感じることで、その相手への信頼に結び付くとの考えです。ある意味で、専門的な人から見ると悲観的な結果をイメージすると思われる。
 信頼構築のためには、信頼が低下してしまっている組織ほど、信頼は価値を共有化しているとの認識次第だった。科学的知識や専門的な技術力を振りかざしても信頼回復にはつながらないのではないか。同じ目線に立って、目標を共有化していることを確認し合う作業が信頼を回復し、コミュニケーションを改善すると期待される。

ページのトップへ

第一部 質疑応答

Q:価値の共有のところで、非常に重要だと思うが、価値を共有させる作業というのは、今の世の中になってくると、なかなか企業独自の発信だけではなく、第三者、マスコミを含めてなかなか自分たちが思うような形で繋がらないこともある。そうなってくると、地道な能力をあげていこうとか、技術力を高めてメーカーとしてやっていかなくてはならないところではなく、マスコミ操作というところに踏み入ってしまって、それが感性に落ちていってしまうのではないか、という恐れもあるのではないかと思うが、どのようにお考えなさいますか?
A:おっしゃる通りだと思います。今、クライシスコミュニケーションという言葉をよくお聴きになると思うが、何か非常事態に陥った時に、いかにそれを一般の人と理解し合うか、共有し合うか、情報を提供するかということがあるが、クライシスコミュニケーションと書かれている本の8割はマスコミ対応である。コミュニケーションは本当は消費者や住民と一方的に意見を伝えるではなく、その人達の気持ちも聞く、双方向的に情報をやりとりすることが大事だが、マスコミとの対応にエネルギーを割くようになってしまっている。だからマスコミはどうでもいい、軽視するというのではなく、やっぱり、大事です。しかも今日の話で言うと一番悪いところ、最大値、最悪の事態だけが流れてしまう。それがまずい状態を引き起こしているんじゃないか、というご指摘に対してもその通りだと思う。じゃ、マスコミ対応せずに済むかというとそうもいかないだろう。
 
Q:能力、動機づけ、認知、それぞれ信頼のレベルによって、バランスよく考えて、対応していかなくてはいけないんだろうな。それは口でいうほど優しい問題ではなく、それぞれの状況においてやっていかなくてはならない。今日のところでは、価値共有、認知というところのことをすごく認識させることができた。
A:一つ言えるとしたら、技術力を高めるとか、最新鋭の何かをやります、というのも、何のためにやるのか。これは消費者の安全のためである。健康のためである。これらの根っこにある価値は、消費者のため、国民の健康のためなんです、というところを理解してもらうことが大事である。 
 
Q:「二重過程理論」というところが非常に関心を持ってお聞きしたが、これは「システム1」と「システム2」の影響というか、効果の違いがあるということでお話をいただいたが、持続性ということではどうか?というのは、我々の業界からすると、コマーシャルを打ちます、あるいは、情報を発信した場合、情報の中身、内容によって、この通りだとするとこれまでやってきた、非常に精緻なデータを出しても、なかなかそれが効果に結びつかない、という原因がそこにあるのかと思うが、持続性という観点から見るとどうか?
A:持続性という点で見ると、「システム1」の方が短期的。逆に言うと短期的な効果しかない。その時は、感情的にすごく反応しているように見えるけれど、時間が経つと理屈通りにやっている、というのがよくある。感情というのはそういうもの、その時はわ~っと膨れるけれど、いつの間にか落ちていく。何が残るかというと理屈である。ただ、感情で勝負が決まってしまって、そのあと敗者復活がないという時は感情に合わせないといけないが、持続的に付き合っていける関係であれば、あえて、相手の感情に迎合できないけれど、長期的にはわかってもらえるという戦略もあると思う。この「システム1」、「システム2」の研究である。本来「システム2」は論理的に物を考えて、「システム1」が直感的感情的に、こうだと判断したのに対してモニターして本当にそうか、理屈でチェックするのが「システム2」の役割だが、短期的にはどうなるかというと、たとえば、感情的に彼女が大好きって思う。それに対して、「システム2」が、そう、彼女はすごく素敵な人だよね、なぜならば、と理屈をたくさんつけてしまう。ということで、本来であればモニターしてチェックして抑えをしないといけないのが初期に置いて、感情に引きずられて、どちらかと言うと正当化する方に理屈を働かせる。ところが、感情がそのうち、落ち着いてきたらどうなるか、というと割にイーブンに見るという方向にはいく。狂牛病の問題で、未だに牛肉を食べないかというと当時よりは皆、食べるようになった。何が変わったかというと、当時から牛肉の輸入を部分的にしかしないとか、全頭検査をするというのも変わっていない。でもマシになってきたというのは最初の、これは怖い、というのが抜けてきているから、ということだと思う。
 

中谷内先生略歴

中谷内 一也(なかやち かずや) 同志社大学 心理学部 教授 
1962年、大阪生まれ。同志社大学文学部心理学専攻を卒業。同大学院を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員、静岡県立大学、帝塚山大学を経て現在、同志社大学心理学部教授。専門は社会心理学で、とくに、人々の安全・安心の心理や信頼の問題について研究を進めている。主な著書は「安全。でも安心できない(ちくま書房,2008年)」、「リスクのモノサシ(NHKブックス,2006年)」など。 
2003.7 同志社大学 博士(心理学) 「環境リスクマネジメントにおけるゼロリスク評価の心理学的研究」
1995.12 日本リスク研究学会 論文賞 (中谷内一也 1994.11 水道水における量-反応関係についてのリスク認知 日本リスク研究学会第7回研究発表会講演論文集, 86-91. (東京海上火災本社新館))
1999.10 日本心理学会 研究奨励賞 (中谷内一也 1998 ゼロリスクの結果の価値に関する研究 心理学研究, 69(3), 171-177.)
2007.11 日本リスク研究学会 学会賞
2008.11 日本社会心理学会 優秀論文賞 (中谷内一也・George Cvetkovich 2008 リスク管理機関への信頼:SVSモデルと伝統的信頼モデルの統合 社会心理学研究, 23(3), 259-268.)
2010.08 日本グループダイナミックス学会 優秀論文賞 (中谷内一也・野波寛・加藤潤三 2010 沖縄赤土流出問題における一般住民と被害者住民の信頼比較:リスク管理組織への信頼規定要因と政策受容 実験社会心理学研究, 49(2), 205-216.) 

ページのトップへ

第二部 「消費者とのキズナづくり -酪農乳業への期待-」  全国消費者団体連絡会  阿南久事務局長

大震災以降の全国消費者団体連絡会の取り組みを紹介しながら、安全と安心を繋ぐには「信頼を構築していくこと」、「価値を共有していくこと」。が必要不可欠であり、この事が「消費者との絆づくり」に結びつく事を、消費者の視点から講演されました。講演要旨は下記のとおり。 
 
  大震災後、すべての商品がそうであったが、何日か牛乳を飲めなかったし、ヨーグルトも食べられなかった。買いに行ってもお店にもなかった。同時に情報もなかったので、企業の売り惜しみではないか、誰かの買い占めではないかと、疑心暗鬼になっていた。後日の情報収集により、実態は計画停電でヨーグルトの製造ラインが動かない、容器業者が被災して容器の調達ができないという事であった。そういう大切な情報がなかった。
  放射性物質での汚染されている状況の情報も遅いし、殆ど無く、しかも情報が理解するのが難しいので消費者は本当に大きな不安に陥った。政府も科学者も信じられない。また情報を隠しているのではないかと思った。政府の規制値レベルで大丈夫かという不信感も持ったし、どんな影響があるのか、誰もわかり易く説明をしてくれなかった。こんな状況の中で、理解できないからといって消費者のことを攻めるわけにいかないのではないか。
  私たちは、消費者庁と全国消団連が共催して、各地8つのブロックで汚染問題についての学習会を開催し、放射性物質の専門家を招聘し、また厚生労働省からも基準値の決め方についても説明していただいた。この学習会は非常に有効であった。ここでの学習が「目からウロコ」の話が多々あり、非常にためになった。あまり慌てることはないというのがわかった。
  消費者にとってはこういう事が情報共有という点では、大きな、わかりやすい、お互いの学び合い場になっている。この様な事が重要だと思う。
  消費者基本法第7条に、消費者は情報を集めて自分で合理的な行動を取るという役割が規定されている。合理的に行動するために何より必要なのは知識と情報である。これをいかに消費者にわかりやすく提供できるかが安全と安心を繋ぐ「カギ」になっている。
  情報については、「消費者はなかなか理解できない。」「消費者はゼロリスクを求めている。」「消費者は科学的に考える力がないのではないか。」と言われる。しかし、そのために十分な情報、わかりやすい情報が提供されていない中で理解できないからといって消費者のことを攻めるわけにいかないのではないか。
  信頼構築ではどんな情報も共有して学び、支えあい、生産者、消費者、流通事業者も、率直な不安を出しあって、お互いに聴き合う事が必要である。
  検査や測定情報は正直に全て提供して、それがどういう意味を持つか、丁寧に説明することが必要である。誠意を持って対等な立場でお互いに、一人の人間として不安を出しあって、共有して、理解している人は解りやすく説明するということが必要である。生産者も事業者も一緒に学んで、出来る事を考えあっていくことが必要である。
  信頼は検査結果データではない。基準値以下の製品を出すために事業者がどのようなことを努力しているのか、それを直接的なコミュニケーションで、正直に、正確に、熱意を込めて、自分たちがやっていることをアピールし、心をこめて消費者に情報提供されなければなかなか安心に繋がってはいかない。もっと同業者間で情報、基盤を共有し、業界全体で努力しているということを伝えていくべきと思う。
  消費者から様々な苦情が寄せられると思うが、最終的には消費者は理解する。消費者を信じていただきたい。行政にも協力しながら、行政にも提案していくことが必要と思う。
  メディアも不安を煽るだけではなく、問題の本質を「事実」と「なぜ?」をわかりやすく正確に伝えることが大事である。注意喚起をし、それが改善された時にも安心に繋がる情報を伝えていただきたい。
  4月1日から新基準値が施行されているが、生産者、事業者は大変なことと思う。是非とも一緒に考え、皆さんの努力を伝えながらやって行きたい。
  安全を安心に繋ぐ信頼の構造は、様々な不信や対立をお互いが持ち寄って、どこに不安があり、どうしたら不安が解消できるのか、ということを共有していくことが必要である。単なる検査だとか、基準値の設定の行政情報だけではなく、何が必要なのか、今どういう情報が必要なのか、持ち寄ってみんなで考え合う事が必要だと思う。政府、事業者、消費者団体が一緒になって「考えあう」という仕組みを使うべきである。そこで初めて共有が生まれ、共感が生まれると思う。そこから責任ある供給、責任ある説明、責任を果たせる行政が行われ、それが施策に繋げられ、消費者自身が責任ある消費が出来ることにつながるのだと思う。
  大きなリスクコミュニケーションの場もいいが、小さなグループで自由に物が言い合える、そういう学習の場をたくさん作り、こまめに開催していくことが必要である。この事が私どもの大きなテーマとして考えている。皆で一緒に考え、一緒にやって行きたいと思います。

ページのトップへ

第二部 質疑応答

Q:4月から食品の安全基準が更に厳しくなった。この状況の中で、極端に低い線量を要求し、独自に検査を実施しているといった動き出ている。食品事業者が、こうしたことにどう対応していったらいいのか、提案があればお聞かせ願いたい。
A:生産者、事業者の皆様の並大抵でない努力の結果、新基準値ができたと思う。そこは消費者自身が認識しなくてはいけない課題だと思っている。しかし、事業者は独自基準を設けるのは全然構わないと思っているが、何のために独自基準を設定しているのか、その理由を明らかにしながらやっていく必要があると思う。消費者にとって独自基準のいろいろな情報が公開されるということは選択の一つ、最終的に選ぶのは消費者なので、その意味について正確に情報を提供するということを事業者にお願いしたいと思う。私たちも、新しい基準値と意味、事業者が独自基準を設定している意味についても消費者が選択の情報の一つとして認識できるような学習の場を広げていく事を考えている。

ページのトップへ

阿南先生略歴

阿南 久(あなん ひさ) 全国消費者団体連絡会 事務局長
1972年3月  東京教育大学体育学部卒業 
1991年6月~2007年6月  生活協同組合コープとうきょう理事 
1999年6月~2003年6月  東京都生活協同組合連合会理事
2001年6月~2007年6月  日本生活協同組合連合会理事
2003年8月~2007年8月  全国労働者共済生活協同組合連合会理事
2007年10月~  全国消費者団体連絡会 事務局
2008年5月~  全国消費者団体連絡会 事務局長
出産後、生協への加入と同時に、生協の消費者活動に参加。以来、食の安全、消費者の権利確立に関わるさまざまな取り組みを先頭に立って推進している。
阿南事務局長の就任中の審議会委員等について
消費者庁参与
消費者庁「消費者教育推進会議」委員
内閣府「食品安全委員会」専門調査会委員
内閣府「消費者委員会」臨時委員
内閣官房「食育推進会議」委員
原子力委員会「新大綱策定会議」専門委員
厚生労働省「薬事・食品衛生審議会」委員
農林水産省「食料・農業・農村政策審議会」委員
農林水産省「農地・水・環境保全向上対策第三者委員会」委員
国土交通省関東運輸局「関東交通審議会」委員
環境省「特定調達品目検討会」委員

中谷内先生講演資料