第3回 開国の役割を担ったハリスと牛乳

近代日本の幕開けとともに歩む酪農産業の足跡

第3回 開国の役割を担ったハリスと牛乳

初代米国総領事のハリスと牛乳

1856(安政3)年には、初代米国総領事のタウンゼント・ハリスが来日した。ハリスは、まず日米和親条約の追加事項の交渉を行い、それが下田協約として締結されると、1857(安政4)年から日米修好通商条約の交渉を開始して1858(安政5)年に締結した。

 ハリスは、ヘンリー・ヒュースケンを通訳兼秘書として伴い伊豆下田の玉泉寺に赴任した。一躍開国の舞台になった小さな港町では、髪と目の色が違う「異人」をみて、生活習慣の相違に、人々が大層驚いた。彼らの滞在にあたり、下田奉行はもとより、江戸幕府の多くの要人が訪れ動揺しながら見守っていた。

  • ハリス

 この中にあってハリスは、外交や貿易の仕事に異国で精力的に努めた。しかし本国との食生活の相違により精神的な緊張もあり、鮮血を吐いたり、消化器官の潰瘍で病弱であったりしたことで、牛乳を飲めない事が相当こたえた。そこで通訳の森山多吉郎を通じて下田奉行に「牛乳飲ませて欲しい」と強く要望した。

 当時の下田奉行・井上信濃守と岡田備後守により「牛乳の儀に付き滞留の官吏へ及び應接候書付」報告書を幕府に提出しており、以下は通訳の森山を通したハリスとのやり取りの一部である。

(森 山)勤番の役人から牛乳を欲しがっているとききました。しかし日本では、牛乳は一切飲用に供していません。牛は農民が田畑の作業や荷物を運搬するために飼育するものであり、牛乳は仔牛に飲ませるのみです。従って要求はお断りします。

(ハリス)わかりました。それでは私が母牛を飼って搾乳します。

(森 山)牛は農耕と運搬のために飼養するもので、他人の譲り渡すことはできません。

(ハリス)山羊は当地におりますか。

(森 山)日本にも隣国にもいません。

(ハリス)山羊を香港に注文して当地で飼養しても良いですか。

(森 山)豕(豚)のようなものだから寺の境内で飼うのはよろしいが放飼はできません。
 このようにハリスは牛乳を飲みたかったことが分かるものの、牛乳は子牛のもので人間が飲むなど考えたこともなかった当時の日本の様子がうかがえる。またハリスが自分で搾乳をするということに、下田奉行も驚いたのではないだろうか。

 しかし、役人であっても、牛は農民の最も重要な財産であるとして、強制的にとりたてをしたり、各農村の共有財産として後生大事にもっている牧草地を提供したりすることもしなかった。牛は農民の財産であり、米作りに必要であったので非常に大切にしていたのである。従って、ハリスは日本人に牛乳を飲む習慣がないことから、牛乳を飲むための手立てが全て絶たれてしまったのである。

唐人お吉の物語

 そこで、ハリスが牛乳を飲めるように奔走したのが、芝居や映画で有名な下田芸者の「唐人お吉(本名・斎藤きち)」という説がある。お吉は、献身的にハリスに仕え「洋妾」(らしゃめん)といわれながら外交上に秘密の部分に生き、任務をはたした女性である。

 お吉は、ハリスがあまりにも牛乳を求めるので、自ら下田の在である駒込村など農家を訪ね、「妙薬を作るから」と説得して購入し、看視の目を盗んで牛乳を竹筒に入れてハリスに届けると非常に喜んで飲んだとする物語もある。

 中村日記によると、白浜村、大沢村、青市村などの稲生沢の和牛から集めた牛乳は15日間で9合7勺であり、その代金は1両3分84文で非常に高価なもので、牛乳に始めて価格がつけられた。

 なお、下田開国博物館には、当時の牛乳代金など支払い明細書が展示されていると共に、玉泉寺の境内には、その内容を説明した「牛乳の碑」が建てられている。

  • お吉

渋沢栄一が建立したハリスの記念碑

アメリカの実業家であるヘンリー・ウォルフが伊豆下田の玉泉寺を訪ねた時、ハリス記念碑を建立しようと考え、駐日アメリカ大使バンクロフトを通じて渋沢栄一に協力を求めた。彼はその後、各方面に協力を求め、記念碑を建立、村上住職の願いであった玉泉寺の屋根を茅葺(かやぶき)から銅板葺に修繕した。

 そしてハリスが帰国してから65年後(昭和2年)の米国大使マクベーを迎えて記念碑の除幕式と玉泉寺の本堂修繕落成式をおこなった。除幕式のスピーチで渋沢はハリスが日記に記した自問に言及、その答えとして、「封建的専制から立憲国に、資源乏しい国ながら産業・貿易も盛んになったのはハリスのお蔭」と、開国の激動史におけるハリスの功績をたたえた。

執筆者:矢澤好幸・日本酪農乳業史研究会 会長

● 引用文献

公益財団法人 渋沢栄一記念財団
大日本牛乳史 十河一三 牛乳新聞社 (1934)
下田物語(上中下)O・スタットラー箸(金井圓訳)社会思想社(1983)
乳の道標  矢澤好幸 ㈱酪農事情社(1988)ほか

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