120年の歴史を持つ地域酪農と共に歩む
-ミルクバリューチェーン-

j-milkリポートvol-33より

岩手県岩泉町の豊かな森と清らかな水に恵まれた地域で、地元の期待を担う第三セクターの乳業メーカーとして出発した岩泉乳業株式会社(現:岩泉ホールディングス(株))。

全国的に知られるヒット商品「岩泉ヨーグルト」誕生の舞台裏や、地域におけるバリューチェーンづくりの取り組みを、岩泉ホールディングス株式会社 代表取締役社長、山下欽也氏にお聞きしました。(聞き手:Jミルク専務理事  前田浩史)

“岩手酪農発祥の地”に根ざす乳業メーカーとして

前 田:岩泉町の酪農の歴史と、御社が創業された経緯についてお聞かせください。

山下氏:岩手県の酪農は、明治20年代に岩泉町と葛巻町がホルスタイン種を導入したのが始まりとされています。以後120年余りにわたって、酪農は町の基幹産業であり、地域の酪農家さんも誇りを持って取り組んでいます。
町にはかつて大手乳業の工場がありましたが、1978年に閉鎖されてからは関東方面に生乳を出荷する状況が続きました。「地元の乳業メーカーがほしい」という酪農家さんの長年の思いに町が応えて、2005年に第三セクターで設立されたのが岩泉乳業株式会社です(2006年操業開始)。今年3月には岩泉乳業と岩泉ホールディングス、岩泉産業開発が統合し、現在の経営形態に移行しました。

前 田:創業当時、地域での乳業ビジネスの状況はいかがでしたか。

山下氏:すでに全国的に地域乳業の経営環境は悪化しており、当社も同様でした。創業直後は牛乳が9割、残り1割がヨーグルトとコーヒー牛乳という商品構成でしたが、県内には乳業メーカーが多く、後発の当社はなかなか市場に入っていけず、価格面でも苦戦を強いられました。
2009年に私が社長に就任したころは累積赤字もかさんでおり、牛乳が主力ではこの先の事業展開は厳しいという認識でした。しかし、当社は地域の酪農家さんが株主であり、岩泉の酪農を将来的に発展させる役割を担っています。私たちがここで事業をあきらめてしまうと、酪農家さんの意欲が削がれるのではという声も社内からは上がっていたのです。
牛乳以外の商品と言ってもヨーグルトとコーヒー牛乳しかなかったので、必然的にヨーグルトを選択することになり、新たな主力商品として低温長時間発酵による「岩泉ヨーグルト」を開発しました。
  • 山下 欽也 氏 岩泉ホールディングス株式会社 代表取締役社長(中)
    下道 勉 氏 岩泉ホールディングス株式会社 取締役副社長(右)

ニッチな市場から全国に知られる看板商品へ

前 田:主力商品の変更は大きな決断ですし、ヨーグルトは大手も含めて競争の最も激しい商品でもあります。どのような見通しを持たれていたのでしょうか。

山下氏:
大手乳業メーカーさんとの競合を避けて、すき間に入っていくという考え方ですね。まず開発面では、独自の機能性の追求には莫大なコストがかかるので、機能性よりも「おいしさ」を前面に出そうと考えました。地元産の牛乳の風味が残る原料乳に優しい温度でつくりたいと考え、現在の温度帯と発酵時間、ヨーグルト菌の組み合わせにたどり着きました。
もう一つは売り先です。これも競合の多い量販ではなくニッチなところを探して、県内外のホテルや健康ランドなどに目をつけました。なぜホテルかというと、バイキングで大勢の人に食べてもらえる期待があったからです。食べれば感動していただける商品という自信もあったので、「岩泉乳業のヨーグルト」という表示を出して提供してもらうようにお願いしました。また健康ランドや日帰り温泉には、飲むヨーグルトを置いていただきました。
最初は、ホテルなどで「岩泉ヨーグルト」を知ったお客様が通販で購入していただけるようになり、そのうち地元の方にも評価され、お歳暮やお中元での利用が増えていきました。2つのルートで口コミが広がるにつれ、店舗展開を希望する声も届くようになり、従来品の半分の1kgパックを開発して販売を始めました。県内のスーパーでも週末ごとに試食会を行い、数年後には行列ができるほどファンが増えました。
これは後になって得意先の方から言われたのですが、私が地元JA勤務を経て入社した、いわば「乳業界を知らないサラリーマン」だったことが、開発や販路開拓ではむしろプラスになったと。業界を知らないがゆえに、従来の常識や固定観念に捕らわれず新鮮な目で市場を見て、難関だと言われそうなことにも挑戦できたということですね。
  • 日本三大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」の町・岩泉をコンセプトに作られた岩泉ヨーグルト。

地域と全国に向けた情報発信が「ファン」を生む

前 田:「岩泉ヨーグルト」の成功を見て、地域乳業もまだまだやれると感じた関係者は多いと思います。成功の要因をどう分析されていますか。

山下氏:
まずは商品の魅力として、おいしさや今までにない食感といった良さがしっかりと説明できて、消費者にも実感として伝わることが評価されたと思います。
合わせて、地元ラジオ局のスポンサーになって当社の活動や地域の話題を届けたり、東京ヴェルディ(Jリーグ)と日テレ・ベレーザ(日本女子サッカーリーグ)のオフィシャルサプライヤーとしてヨーグルトを提供したりするなど、外部への情報発信を常に行っています。こうした取り組みもあって、地元の皆さんは「岩泉ヨーグルト」を地域ブランドとして認識してくれるようになり、ヨーグルトが好きで当社の取り組みも応援するという、消費者以上の「ファン」が増えてきたと感じています。

前 田:
地域の酪農や町の経済への効果はいかがですか。

山下氏:
創業当時は1日2トンほどだった受け入れ乳量が、現在では町で生産する生乳のすべて、約13トンに達しています。工場がない頃は生乳代(約8億円)だけが収益でしたが、当社が購入し付加価値をつけて販売することで、プラス14億円程度が町に入ってくることになり、相当な経済効果が生まれています。また人口約9000人の町で、当社は100人強の雇用がありますので、この部分でも町の経済に貢献できていると認識しています。

前 田:
町の生乳をすべて受け入れて、足りない分は他から持ってくるのですか。

山下氏:
いいえ、町外の生乳は使用していません。現状の規模なら利益率が良く、販売先の把握も容易です。これ以上の拡大となると卸にお願いすることになり、自社商品のバッティングによる価格破壊の懸念も出てきます。ただ今後、地域の酪農がさらに盛んになれば、責任を持って拡大していこうと考えています。

前 田:
2016年8月の台風10号による豪雨災害からの立ち直りは、「奇跡の復興」とも言われましたが、その原動力は何だったのでしょう。

山下氏:
これは酪農家さん、地域住民の皆さん、消費者の皆さんの応援と、社員の力に尽きます。被災時には全ての製造能力を失い早期再開は絶望的でしたが、全国の皆さんから寄せられた多くの応援の声が私たちの励みになりました。地域の金融機関の支援や国庫補助なども活用し、約1年後に製造を再開し、現在は出荷量も被災前の水準にほぼ回復しています。

地域ぐるみで酪農生産基盤を支える意識が必要

前 田:地域酪農と共に成長されてきた御社ですが、いま酪農の指導的技術者が減って産業が空洞化する地域が増えつつあります。各地の乳業メーカーと連携して酪農家を支援するしくみをつくることが、私たちとしても一つの課題だと考えています。

山下氏:
岩泉町も決して例外ではありません。当社も酪農家さんとのコミュニケーションを密にして、できることは協力するようにしています。最近ではミルカーの定期点検の費用補助なども当社で行っています。
私たち乳業メーカーを含めた二次、三次のビジネスは、酪農という一次産業によって成り立っています。地域酪農の衰退は私たちにとっても死活問題なのです。そうした危機感を、地域の酪農乳業界全体で共有することが大切ではないでしょうか。

前 田:
まとめとして、御社の今後の経営課題と、Jミルクに対するご要望をお聞かせください。

山下氏:
これまでの10年間は経営の立て直しに注力してきたこともあり、事業を次世代に引き継ぐ体制づくりはこれからです。また当社は設立14年のまだ若い会社なので、各分野のベテラン、プロと呼べる人材が少ないことも課題です。今期から6期目の社長を務めるので、まずはこの2年で後継の育成に取り組みたいと考えています。
Jミルクさんに期待するのはやはり情報ですね。個人での情報収集には限界があるので、国内外の多様な情報を現場に届けていただきたいと思っています。

前 田:
Jミルクでも海外情報の収集、分析を担当する部署を設け、国内の酪農乳業経営に役立つ情報発信を充実させていく計画です。本日はありがとうございました。