「飢餓ゼロ」へ、私たちにできること -SDGsの実現に向けた酪農乳業の役割-

j-milkリポートvol-29より

2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」では、17の目標のひとつに、「飢餓をゼロに」(飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する)を掲げている。

すでに国際酪農乳業団体や各国の酪農乳業界が、SDGsを意識した取り組みを始めている。元FAO(国連食糧農業機関)アジア太平洋局長の小沼廣幸氏(明治大学アセアンセンター長)に、持続可能な開発の実現に向けて酪農乳業が果たすべき役割を聞いた。

国際的な視点を持つ人材を日本とアセアンから

——先生が酪農と関わりを持ったきっかけと、現在のお仕事の内容をご紹介ください。

小沼氏:明治大学農学部での研究が酪農との接点になりました。当時は群馬県の牧場での実習があり、実際に体験してみて牧場や酪農の良さを感じました。その後、北海道の酪農学園大学のドイツ式実験牧場で、欧州の近代的な酪農を学びました。将来は独立して十勝で酪農をやりたいと思っていましたね。

しかし当時は高度経済成長の只中で、小さな農家は次々に廃業して工場労働者になっていた時代です。酪農の場合は、例えばバルククーラーを導入できない小規模酪農家は競争についていけなかったのです。そうした現実を見て、独立は難しいと感じました。

ちょうどそのころ、青年海外協力隊がシリアで若手の酪農専門家を求めていて、即決で応募してシリアに向かいました。当時のシリアは近代的酪農を導入したばかりで、私が学んできた知識が酪農指導に役立ちました。

その後は、FAOを中心に35年間にわたって国連に勤務してきました。2015年にFAOを退官し、現在は明治大学のアセアンセンター長を務めています。特任教授として世界の食料安全保障や飢餓問題、格差問題、国連機関の役割やSDGsに関する授業を担当する一方、センター長としてアセアン全体、特にタイの協定校との連携を進めながら、国際的感覚を持ったアジアの若い人材の育成に取り組んでいます。

飢餓と貧困の解決に貢献できるミルクと酪農

——SDGsにも飢餓撲滅という目標が含まれていますが、この点での酪農乳業の役割や価値についてはどうお考えですか。

小沼氏:日本での酪農乳業の価値と、国際的なそれは違うと思っています。地球規模で見ると、世界の9人に1人、約8憶人が慢性的な飢餓状態にあり、5歳以下の子どもの4人に1人が成長不良に苦しんでいます。世界が経済的に発展し、需要に見合うだけの食料を生産していても、これだけの飢餓人口が残っているわけです。こうした人々の栄養を改善して飢餓を撲滅することが、SDGsの2030年までのターゲットの一つである「飢餓をゼロに」です。

ミルクは人間が必要とする栄養をバランスよく摂取できるすぐれた食品であり、栄養改善や飢餓撲滅、子どもの成長促進という点で非常に重要な役割を持っています。国際的な視点で見ると、飢餓問題への寄与という点でミルクの重要性は大きいのです。

8憶人に上る世界の飢餓人口の35%は、南アジアに集中しています。根本的な原因は、地方の農村部における雇用や収入の不足です。酪農は家内農業として女性の労働参画も促すことができますから、飢餓撲滅と同時に雇用と収入も確保できる。酪農という農業形態は、世界全体で見ると素晴らしい可能性があると言えます。

食料の生産過程の理解が食品ロス軽減につながる

——世界の飢餓撲滅のために、私たち日本人にはどんなことができるでしょうか。

小沼氏:我々がすぐ身近に出来るもっとも大きな貢献は、食品ロスの軽減だと思います。日本国内の食品ロスは年間約620万トンと推計されています。世界人口の増大を考慮すると、2050年までに食料生産を49%も上げないと、世界の需要を満たせないと試算されています。その一方で、現在世界中で生産されている食料の30%前後が棄却されています。人類が需要に見合う食料を生産できないかもしれないという瀬戸際にいるのに、これほどの棄却が生まれているのです。私たち一人一人が食べ物を尊重して、考え方を変えていかなければなりません。

貨幣経済の中で暮らしていると、食品の「価値」を見誤りがちです。例えば150円で買ったミルクなら、その価値を150円としか見られなくなり、その程度なら無駄になっても構わないと考えてしまうのです。

しかしミルクができるまでには、毎日牛の世話をして、飼料をつくり、ミルクを搾るという酪農家の営みがあります。労働力だけでなく、飼料、水、生産過程では燃料やエネルギーも消費しています。つまり1リットルのミルクを捨てるということは、ミルクをつくる過程で費やされた貴重な資源も捨てるということなのです。また、棄却された食品からはメタンガスが発生し、地球温暖化に悪影響を与えます。食品ロスを減らすためには、こうした食料ができるまでの背景と、食品を無駄にした後のことまで考える習慣を身につけることが大切です。

飢餓撲滅という目標に、より積極的に関わることもできます。例えば国内の民間NPOが2007年から取り組んでいる「Table For Two」という活動は、趣旨に賛同するレストランや社員食堂での食事代金の一部を、飢餓に苦しむアフリカの子どもたちへの食料援助に寄付するものです。寄付分は食事の量自体を減らしてもらうことで、腹八分目にして食べすぎを防ぎながら、飢餓人口の減少にも貢献できるという運動です。このように誰でも気軽に参加できる活動をもっと増やしていくことも必要だと思います。

牛乳乳製品の安定供給のために小規模酪農普及を

——日本では酪農家戸数や乳牛飼育頭数の減少が懸念されています。これからの酪農乳業界を元気づけるようなメッセージをお願いします。

小沼氏:私たちの食生活は牛乳乳製品なしでは成り立たなくなっている一方で、近年は国内生産の不足分を輸入に頼る傾向が強くなっています。しかし、足りない分をすべて輸入に頼るのはリスクが高い。諸外国が将来も安定的に輸出してくれる保証はなく、長期的な気候変動の影響による生産量の減少や、原油や飼料価格の高騰リスクなどもあるからです。

日本には山間地域の休耕地が多くあります。そうした土地を活用して飼料をつくったり、家内経営的な小規模酪農経営を行ったりする取り組みが、食料の安定供給という観点から今後ますます重要になるはずです。北海道だけでなく、地域に根ざした小規模酪農にもがんばっていただきたいと思っています。

——世界的な飢餓と食糧問題という視点から、酪農乳業の価値と役割について多くの示唆をいただきました。本日はありがとうございました。


小沼 廣幸 氏
明治大学アセアンセンター長
1976年明治大学農学部卒。筑波大大学院博士課程前期修了。農学博士。1999年よりFAOアジア太平洋副局長、および同局長を歴任。在タイ国連FAO代表を兼任し、農業振興や栄養改善を指導する。2016年より現職。2017年タイ王冠勲章勲五等を受章。