日本の女性参政権運動の 黎明期を支えた「牛乳」

「あたらしいミルクの研究」2017 年度

日本の女性参政権運動の 黎明期を支えた「牛乳」

同志社大学人文科学研究所:尾崎智子

約100年前、市川房枝を代表に女性の参政権獲得を目指してつくられた「婦選獲得同盟(ふせんかくとくどうめい)」は、世間からは変わった女性たちのいきすぎた運動と見られていました。

そのため、活動資金を得るのは容易ではありませんでした。

その上、1930年代には世界大恐慌の影響で資金調達が難しくなり、活動休止目前まで追い込まれます。

その危機を救ったのが、伊豆の牛乳販売事業でした。

婦選獲得同盟に参加している女性たちは、牛乳が日本人に足りない栄養素であることをいち早く知り、単なる資金源としてだけではなく栄養摂取の面からも牛乳を広めようとしました。

大不況で女性参政権活動の資金が枯渇

婦選獲得同盟は、1924(大正13)年に設立された女性にも選挙に参加する権利獲得を目指した非営利団体です。婦選獲得同盟の「ふせん」は、1925(大正14)年に成立した男子普通選挙法の「普選(ふせん)」を掛け、「女性にも男性と同じく参政権を」という意図で名づけられました。今では女性にも選挙権があるのは当然ですが、当時はこのような運動をする女性たちは社会から変わりものと見られ、活動資金を得るのも容易ではありませんでした。有志から寄附金を受けてはいたもののそれでは足りず、歌舞伎や演劇など興行チケットを売り、仲介手数料を資金源としていました。ところが1929(昭和4)年、世界大恐慌の影響を受けた日本は一大不況に陥り、婦選獲得同盟も寄附金が集まらなくなりました。そればかりか、歌舞伎や演劇興行のチケット販売も困難となり資金が途絶えてしまいそうになりました。 

牛乳販売のきっかけ

1931(昭和6)年のある日、東京・四谷にある婦選獲得同盟の代表者、市川房枝の元に講演依頼が舞い込みました。依頼主は、東京市の元嘱託職員で婦選獲得同盟の貴重な寄附者でもある平林広人(ひらばやしひろんど)からでした。平林は男性では珍しい婦選獲得同盟への資金提供者で、のちにデンマークの童話作家・アンデルセンの研究家として知られるようになりました。

平林が当時住んでいた伊豆地方一帯は、酪農の盛んな地域でした。日本では牛乳より練乳の普及が早く、原料である生乳は伊豆地方で練乳に加工されていましたが、1920年代後半、第一次世界大戦後の日本は不況のため練乳の価格が下落しました。そのため生乳の買い取り価格も下がり、伊豆の酪農家は酪農では採算が取れなくなりました。そこで心機一転、酪農家は自分たちで出荷組合を作り、牛乳を東京で販売することにします。1926(大正15、昭和元)年、酪農家たちは伊豆に伊豆畜産販売購買利用組合(以下、畜産組合)を作り、東京に牛乳を出荷する体制を整えました。ところが東京市内にはすでに牛乳販売店があり、不況下で競争が激化することを怖れた従来の販売店は、伊豆からの牛乳を東京で販売することを歓迎しませんでした。そのため体制が整いながらも、伊豆の酪農家は牛乳の売り先がありませんでした。平林が市川と再会したのはちょうどそんなときでした。平林は市川との再会をきっかけに、畜産組合を婦選獲得同盟に紹介しました。婦選獲得同盟は伊豆の牛乳を会員に販売することで手数料を得て、それを活動資金に当てました。畜産組合にとっても婦選獲得同盟を仲介に東京で牛乳を販売することができるようになり、両者にとって好都合の間柄になりました。

なお、平林は婦選獲得同盟にこの申し出をする時に、同郷の竹内茂代を同席させました。竹内は当時数少ない女性の医師で、栄養面から牛乳の効用を知っていました。そのため平林は竹内とともに市川に牛乳の効用について説きました。 

栄養食品の一つとして牛乳が普及

幕末から明治時代にかけて東京・大阪・京都などの大都市や港町・神戸には、「牛乳を飲む」文化が入ってきました。ところが当時の人々にとって、牛乳は珍しい飲み物である上に冷蔵技術も発達していなかったため「生臭く」、人々にあまり好まれませんでした。ちなみに練乳が牛乳より普及が早かったのは、練乳は缶詰に入った保存食であったため生臭くなかったことが一因として上げられます。牛乳はコーヒーや紅茶に混ぜて飲む場合はありましたが、牛乳だけの飲用は卵や砂糖と同様に病人か母乳を飲めない乳児くらいでした。

一方、日本が不況下にあった1920 年代後半は栄養学が確立し、「栄養」という言葉が一般にも知られるようになりました。栄養学の確立と普及には、1920(大正9)年、医学博士の佐伯矩(さいきただす)が国家機関として栄養研究所を開設。4年後に養成施設を創り栄養士を世に送り出したことが関係しています。同時に、牛乳も栄養食品の一つとして知られるようになりました。現在もある婦選獲得同盟の事務所には、牛乳の良さを説くパンフレットが残っています。

伊豆の「三島牛乳」を飲んだ人たち

「女性の選挙権獲得」を目指す婦選獲得同盟を支持していた会員の多くは、女性の医師や小学校から大学までの教師、看護師など職業を持つ女性たちが大部分でした。そして当時は職業を持ち、自分の生活費を稼ぐ女性は珍しい存在でした。彼女たちは運よく高等教育を受けて専門職に就けましたが、世の中には望んだ職で働ける女性ばかりではないことをよく知っていました。

高等教育を受けた会員たちは栄養の知識もいち早く習得していたので、牛乳が日本人に足りない栄養源であり、元気の源だということも知っていました。彼女たちは基本的に、仕事と家事・育児をかけもつ忙しい職業婦人でした。そんな忙しい会員に栄養をとってほしいという思いもあり、竹内をはじめ婦選獲得同盟の人々は牛乳販売に着手しました。

牛乳を販売するだけであれば、すでに東京市内にある牛乳販売店と取引しても良かったはずです。しかし、市川らは実際に伊豆の牧場を訪れ、牛たちの飼育環境を視察してから意識が変わりました。緑多い牧場で育てられた牛の牛乳を飲んでほしいとの思いが募り、婦選獲得同盟はこの地域の酪農家と取引をし始めたのです。

会員は、婦選獲得同盟から牛乳を買えば女性の境遇改善に貢献できるとあって、伊豆の牛乳である「三島牛乳」を競って買いました。婦選獲得同盟が畜産組合と最初に契約した時、1日1合瓶の牛乳を300本以上婦選獲得同盟が売り上げれば、手数料率を上げるという内容になっていました。ところが発売2ヶ月後には、すでに1日500本以上の契約を取っていました。婦選獲得同盟は、牛乳販売事業の売上好調により手数料率が上がり、活動資金獲得に大きく前進しました。 

牛乳販売で窮地を乗り越える

1929(昭和4)年に始まった世界大恐慌の大不況から景気が徐々に回復するに従い、婦選獲得同盟に寄附金が再び集まり始めます。これまで婦選獲得同盟の目玉商品だった「三島牛乳」も、刻々と変化する東京で販売の素人である婦選獲得同盟が毎朝、配達するのは難しかったのでしょう。1934(昭和9)年には牛乳販売に力を入れなくなりました。

婦選獲得同盟にとって牛乳販売の手数料が主な収入源だった期間は、実際のところ5年未満だったと思われます。しかしながら牛乳を扱った時代の状況を考えれば、婦選獲得同盟にとって期間の長さでは推し量れないほど牛乳販売は重要な出来事だったと考えています。

世界大恐慌は、日本にも甚大な被害を与えました。大学生の4人に1人しか就職先はなく、東北地方の農家は自分の大事な娘たちを売って飢えをしのいだと言われています。このような世相を考えると、従来の寄附、あるいは歌舞伎や演劇の興行では資金が集まったはずもありません。もし牛乳販売業を始めていなければ、婦選獲得同盟は資金難に陥り活動を休止してしまった可能性も予測できます。

多くの苦難を乗り越え、その後、婦選獲得同盟が目指した女性の選挙権獲得は、1945(昭和20)年にようやく日の目を見ます。婦選獲得同盟が活動を始めて約20年、第二次世界大戦後のこととなります。確かにアメリカ占領下で得た権利かもしれません。しかし、GHQが強制して与えた権利という見方を今はされていません。周りから冷たい視線を浴びながらも婦選獲得同盟などを通じて様々な女性たちが、粘り強く運動を続けた成果と考えられています。その成果のひとつとして、戦後、市川と竹内は国会議員となり、終生、女性の権利拡張に努めました。 

婦選獲得同盟の姿勢が伊豆の畜産組合再結成に一助

一方、伊豆の畜産組合も、1930年代半ばに日本が景気回復するとともに酪農家の足並みが揃わなくなります。練乳の原料である生乳価格が上がり始め、酪農家が牛乳を加工しなくても採算がとれる見通しがつくようになったため、畜産組合は1940 年代に一度は活動を停止します。しかし戦後、酪農家たちは再び牛乳を販売するための組合を結成しました。

先にも述べましたが、婦選獲得同盟は1930年代半ば頃には牛乳販売事業への注力を弱め、牛乳の販売数量は少なくなりました。しかし、他の契約先とは異なり、畜産組合との契約を一方的に打ち切ることはありませんでした。戦後、畜産組合が再結成できた背景には、このような婦選獲得同盟の姿勢があったことが考えられるのではないでしょうか。 

- 「わかりやすい最新ミルクの研究」2017年度 -

一般社団法人Jミルクと「乳の学術連合」(牛乳乳製品健康科学会議/乳の社会文化ネットワーク/牛乳食育研究会の三つの研究会で構成される学術組織)は、「乳の学術連合」で毎年度実施している乳に関する学術研究の中から、特に優れていると評価されたものを、「わかりやすい 最新ミルクの研究リポート」として作成しています。

本研究リポートは、対象となる学術研究を領域の異なる研究者や専門家含め、牛乳乳製品や酪農乳業に関心のある全ての皆様に、わかりやすく要約したものになります。
なお、研究リポートに掲載されている研究内容詳細を確認する場合は、乳の学術連合公式webサイト内「学術連合の研究データベース」より研究報告書のPDFをダウンロードして閲覧可能です。あわせてご利用ください。 

日本の女性参政権運動の 黎明期を支えた「牛乳」

同志社大学人文科学研究所:尾崎智子

- 「あたらしいミルクの研究」2017 年度 - 

研究報告書は乳の学術連合のサイトに掲載しています

研究の詳細は、こちらをご覧ください。
牛乳販売店としての婦選獲得同盟

乳の学術連合のサイトはこちら

我が国における牛乳乳製品の消費の維持・拡大及び酪農乳業と生活者との信頼関係の強化を図っていく観点から、牛乳乳製品の価値向上に繋がる多種多様な情報を「伝わり易く解かり易い表現」として開発し、業界関係者及び生活者に提供することを目的とした健康科学分野・社会文化分野・食育分野の専門家で構成する組織の連合体です。
乳の学術連合