第10回 美食の町-リヨンの歴史1-

連載コラム ミルクの国の食だより

コラム、「ミルクの国の食だより」の第10回をお送りします。
「美食の町リヨン」が誕生する背景となった中世ヨーロッパの歴史をひもときます。

中世ヨーロッパの動静

「美食の町」と呼ばれるリヨン。その所以は中世まで遡ります。
中世の時代、輝かしいルネサンス文化が開花し、交易も盛んになり商業が発達してヨーロッパ隋一の先進国となったイタリア。そんな魅力溢れるイタリアの支配権を手に入れようと対立していたのが、フランス王国と神聖ローマ帝国でした。
フランスはフランソワ一世国王のとき、息子アンリ二世とイタリア・メディチ家のカトリーヌ嬢との結婚を果たします。一方の神聖ローマ皇帝もフィレンツェに娘を嫁がせたりと利権を巡った画策を繰り広げていました。
メディチ家はご存知、フィレンツェの大富豪でイタリアルネサンスの中心に君臨した名家。
当時、統一国家ではなく小国家に分かれていたイタリア諸国ですが、このメディチ家を中心として、フランス、神聖ローマ帝国が加わった権力争いで、絶えず戦争が繰り返されていました。
■中世の面影を現在に残すリヨン

イタリアからやってきた先端技術と文化

後にイタリア戦争と呼ばれるこの争いに勝利したのは神聖ローマ帝国。
このとき、フランス側に加担した銀行家やメディチ家のライバルといわれた富豪らはイタリアに居づらくなり、いっせいにこぞって、当時すでに国際都市だったリヨンに亡命します。
彼らはその財力をもってリヨンで大資本実業家として台頭し、印刷業、織物業などイタリアの最先端技術を普及し、さらに生活を楽しませるための香水屋、音楽家、演劇人なども招き寄せました。
かくして美食も然り。
イタリア仕込みの財力、技術そして何より元々の豊かな地の利によって美食の町リヨンが誕生することになったのです。
■ルネサンス当時、ブルジョワの邸宅だった建物。今は市民が暮らしている

フランス食文化の進化

さて、イタリア戦争が失敗に終わったフランスですが、イタリア芸術の愛好者だった王のもと、莫大な費用をかけてルネサンス様式の宮殿を造営したり、レオナルド・ダ・ヴィンチらイタリアの芸術家を宮廷に迎えたりと、ルネサンス文化が取り入れられるようになりました。
なかでも、フランス王室とイタリアのメディチ家との縁組みによって発展したのがフランス料理。
アイスクリームやマカロンなどのデザート類、今やフランス料理に欠かせない、牛乳をたっぷり使ったベシャメルソースなどの様々なソース類は、このときイタリアから伝えられました。
カトリーヌの連れてきたイタリア人コックの作る新しい料理と、それまでフランスの食卓にはなかった食器やナイフ・フォークを用いた食事作法がフランス貴族の間に取り入れられ、フランスの食文化が大きく進化していったのです。
■高級野菜として珍重されたアーティチョーク(朝鮮アザミ)もその料理法とともにカトリーヌが伝えたといわれている
※このテーマは、次回に続きます。
管理栄養士 吉野綾美
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。