フランス人とデザートの甘い関係 - 3

連載コラム ミルクの国の食だより

コラム、「ミルクの国の食だより」の第71回をお送りします。今回はデザートに欠かせない砂糖の歴史をたどってみましょう。

砂糖は富の象徴

ヨーロッパ人が砂糖を知るのは、11~13世紀にかけて聖地エルサレム奪回を目指した十字軍遠征によるものです。
当時の進んだイスラム世界の医科学とともに導入された砂糖は「薬」とみなされていました。

1200年頃のフランスでは、砂糖は王室および薬局、医学校といった医療にかかわる人のみが知っているもので、富裕階級であってもその存在を知らなかったとあります。
「粉状にすると眼にも効くし、気化させれば風邪一般にも効く」ともいわれた砂糖は、ペストや結核の治療などさまざまな効能をもつ優れた薬とされていました。

中世のフランスでは薬効のある果物を砂糖漬け(フリュイ・コンフィ)にしたり、アーモンドをスパイスと砂糖シロップでコーティングしたドラジェなどの砂糖製品を薬剤師が作り、消化薬や口臭薬としていました。

薬剤師と糖菓職人は区別がつかず、また薬として砂糖を処方できるのは医者の特権でした。
贅沢品の象徴でもあった砂糖を使ったこれらの製品を、裁判官への心付けや謝礼として贈る風習もあったそうです。

王侯貴族の結婚式や洗礼など教会での祭事でも振舞われ、やがて貴族の晩餐会でそれらが出されるようになります。
断食や美食に対する節制など、食に関して宗教上の拘束が大きかった時代に、教会から「薬」として認められた砂糖は富裕な階層の人びとによって誇らしげに使われることになっていきました。

中世貴族の贅沢な食事スタイル

中世時代、貴族の饗宴といえばテーブルの料理は、食べ終わるとすべて片づけられ、 また別の料理が一斉にテーブルにのせられ食べる、というものでした。
途中に余興を挟んで、それを何回も繰り返す贅沢な食卓のスタイルでした。

デザートはおおよそ6~8番目に給仕され、主に果物を砂糖で煮たコンポートやコンフィチュールなどが出されました。
「デザート」という語は古フランス語のデセルヴィ(desservir)=「テーブルを片付ける」または「給仕しない」に由来します。

デザートに続いてイシュ・ド・ターブル(issue de table)には、甘い薬用ワインと、その添え物としてワッフルやウエファーといった薄焼きの軽い菓子が出されました。
この時代の菓子は甘いとは限らず、小麦粉などの粉で作ったものを指しています。

また、イシュ・ド・ターブルは「テーブルから離れること」、つまり食後を意味しています。
その後、召使がテーブルを片付けている間、宴会を開いた主のプライベートの部屋に入って、食後酒とドラジェやフリュイ・コンフィが振る舞われ饗宴を締めくくります。
これをブートオー(boute-hors)と呼んだそうです。
  • 中世時代、「薬」とみなされていた砂糖を使ったフリュイ・コンフィは高級品でもあり、クリスマスに裁判官や聖職者に贈る風習があった

砂糖は「薬」?

食後に出される砂糖を添加した果物やワインは、胃を落ち着かせて消化を促進する「薬」の役割がありました。
中世の医学が上流階級の健康や栄養の増進に関する考え方に大きな影響を与えたこともあり、砂糖を含む香辛料を食事に加えるのは単に豪華さや見栄えを求めただけではなく、一種の食餌療法でもありました。

中世には宗教上の拘束もあり、どちらかといえば食事は楽しむというよりも体力を養うために食べると考えられていた面があるようです。その後、ルネサンス期になると食事を楽しむ傾向が強く現れてきます。

15世紀、新しい砂糖貿易ルートの開設も相まって、砂糖が食品としての地位を確立していく中、食後に何度も出されていた甘味は、世紀をまたいで今日あるデザートの形に少しずつ近づいていきます。
*参考資料
※このテーマは次号に続きます。
管理栄養士 吉野綾美

1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。