【北海道 函館・道南編】
第3回 農場の痕跡を探す ~函館・北斗~

にほんの酪農・歴史さんぽ 連載一覧

幕末に外国人に開かれた港町・函館では、明治時代に入る以前から、牛乳やバターの需要が生まれました。外国人との交流を通してキリスト教と出会い、信仰とともに酪農を受け入れた先駆者がいました。国内に乳業が生まれる前の明治時代の後期、この地域に乳牛を飼うことが広がるきっかけとなったのは、本場ヨーロッパの酪農を実践し、乳製品を製造販売したふたつの修道院の存在でした。先人のことばや古い地図を手がかりに、函館を中心にした北海道南部の酪農の歩みをたどります。

第3回 農場の痕跡を探す ~函館・北斗~

明治の模範牧場

函館の市街地にかつて広大な牧場があったのをご存じでしょうか?1878(明治11)年に函館支庁長の時任為基が開いた時任農場で、広さは東京ドームおよそ35個分でした。現在の市電通りから大森浜まで広がっていたといいます。
「明治8年2月17日 昨明治7年度の函館支庁贏余じょうよ 金のうち1万円を牧畜の経費に充てるようにと開拓使東京出張所から函館支庁長時任為基宛指令された」との公文書があることから、公的な意味合いも少なからずあったと見られ、七重官園から牛馬を払い受けた嚆矢こうし とされています。
  • 函館市街全図《部分》1911年。函館市中央図書館所蔵
「函館市史資料集」(1958年)によると、1887(明治20)年に時任が宮崎県知事に転任後は事業がとん挫し、牛馬は園田牧場や八雲村民に譲られ、常野嘉兵衛に無償貸付されたとあります。土地は常野に半分を与え、現在の函館中部高校の前身・函館中学校用地として寄附、遺愛女学校敷地として売却したほか、牧草を栽培し、乳牛を飼って牛乳や子牛が販売されたとのことです。
明治期の時任牧場の様子を伝える資料は少ないですが、1912(明治45)年7月28日の函館新聞に、時任農場の出した「緊急広告」を見つけました【=資料】。
  • 小沼健太郎「新聞に見る明治の函館」1990年より 
この頃、関東、東北、関西、九州で大水害が立て続けに起こり、米価の急騰が続いていたそうです。米価調節策並びに函館繁栄策として「少なくとも毎日三度に一度は食パンと牛乳を召されたし」、つまりパン食と牛乳のすすめ、です。パンを食べることで米の消費を3分の1減らせ、時間の節約にもなる。そして、渡島の荒れ地が畑や牧場になり、牛乳屋も救われる。何より当場産の、「牛乳ハ味美ニシテ滋養豊富而シテ値最モ廉ナリ」。意見広告と見せて、商品をしっかりPRしているのはさすがです!
確かに、パン食は、かまどで米を炊くのに比べれば相当な時短です。時任為基の奥さんは遺愛女学校卒、頭を夜会結びにしたハイカラな女性で、英米の雑誌を取り寄せて農場の参考にした、との語りが地元に残っています。時期的に見て、跡継ぎの奥さんではないかと思われますが、そうした感性が感じられます。

思い出のサイロ

時任農場には牛が数十頭飼育されていた。私はよく牛乳を買いに行った。一升びんを風呂敷に包み抱えるようにして牛の側を通ると、牛が変な目つきをして近よって来る。1頭が来ると後から2頭、3頭と寄って来るのでとても恐ろしかった。

1920(大正9)年、6歳の頃に家族で函館に移り住んだ佐々滋子さんは、牛乳を買いに行く際に母親からきまって「風呂敷は黒っぽいものにしなさい。赤いのは駄目ですよ」と言われたといいます。時任為基にちなんで、1931(昭和6)年に名付けられた時任町の町会50周年記念誌に、牧場の思い出を寄せています。
広々とした農場の畑に、春に種をまいた飼料用トウモロコシが大人の背丈より高く伸びていたこと。見渡す限り生い茂った見事な畑で、固くて太いトウモロコシをかき分けて、近所の子どもたちと隠れ鬼をしたこと。佐々さんは「いつの間にかあの広大な時任農場もすっかり立派な町となり、私が朝夕仰ぎ見て育った時任農場のサイロも、どこへ消えたのか、あの高く高くそび えた白亜の雄姿を再び見る事ができないことは誠に残念なことである」と記しています。当初は赤レンガだったとの話もあり、後年白く塗装されたのでしょう【=写真】。
  • 函館案内漫画鳥瞰図《部分》大正14(1925)年(函館市中央図書館所蔵)
    サイロのイラストは煉瓦色で描かれている
  • 時任農場 昭和2(1927)年 写真(函館市中央図書館所蔵)
今からちょうど百年前の1923(大正12)年2月の 函館日日新聞は、前年の秋以来「女学校裏電車停留所前から時任農場へ入ってゆく右側の地」に教会風の三角屋根、色々のペンキに塗られた家が建ち始めたことを報じています。これは函館住宅組合による宅地開発で「またたく間に後から後から家が建ちだして、全く隙間もないほど建った」とあり、急速な都市化で牧場は郊外に移されたと考えられます。
時任町で町内会長をされている高橋松恵さんは、戦後、小学生の頃に遺愛女子高校の西門付近にサイロのみが残っていたと教えて下さいました。周囲を歩いてみても農場の痕跡は見つかりませんでしたが、かつての模範農場の名は2008(平成20)年に建てられた町内会の50周年記念碑に刻まれています。

ジャージー牛乳とヨーグルト

1912(大正元)年、北海道内の主要な牧場を紹介した北海タイムスの記事は、時任農場について「近年ゼルシー種を加え生乳品質の改善を期しつつあるを以て時任ゼルシー牧場の名あり」と伝えています。ゼルシーとはジャージー種のこと。100年以上前にすでに、函館のまちではジャージー牛乳が売られていたのです。 
1922(大正11)年5月の函館新聞には、ゼルシー牛乳のガラスびんを従来の角形から丸型にし、王冠の口金を用いること、また、毎回新しいびんを用いて衛生面を改善すると広告を出しました。びんの再利用が当たり前だった時代、使い捨ては高級路線でした。角形びんはホルスタイン牛乳に用い、その価格は「牛乳一合五銭」でした。
1933(昭和8)年8月発行の「時任農場月報」によれば、1914(大正3)年に函館市郊外の上磯にあった牧場にジャージー種を導入、1920(大正9)年の2月には牝牛13頭と牡牛1頭を買い求め、1933(昭和8)年には30余頭を数えたとあります。
1918(大正7)年には、ヨーグルトの製造販売も手がけます。1955(昭和30)年10月から1年間、NHK函館放送局で放送された郷土史を語るラジオ番組で、元函館市長で医師の齋藤與一郎は、時任農場のヨーグルトについて「ちょうど豆腐を粉々に砕いたようなものが、黄色い水の中に浮いているんで、酢っぱいの酢っぱくないの、砂糖をうんとかけても酢っぱいんであります」と語りました。ちなみに1908年にノーベル生理学・医学賞を受賞したイリヤ.メチニコフ(Ilya Mechnikov)による発酵乳を食べると長寿になれるとの学説が紹介され、注目されたヨーグルトは、1914(大正3)年に国内各地の50戸、1915(大正4)年に35戸が製造販売したことが記録に残っています。日本における初のヨーグルトブームといえそうですが、当時の分析によれば、日本人の嗜好に合わず、また品質がよくないものも出回ったことから早々に姿を消しました。

牧場から情報発信

時任農場月報は、1933(昭和8)年から農場が毎月発行した、今で言うニュースレターのようなものです。同年8月から翌1934(昭和9)年9月にかけての発行分の一部が、函館市中央図書館に所蔵されています。毎月10日に発行され、牛乳の歴史や文化、栄養についてのコラムのほか、牛乳やバターを使ったスープやパン、ゼリーなど多彩な料理レシピ、童話や地域の児童の詩なども掲載されました。内科や小児科など病院・医院の広告が多数掲載されているのは、牛乳が昭和に入ってもなお、滋養強壮のための医薬品に近い位置づけだったことを物語っています【=資料】。
  • 【資料】時任農場月報 第九号(昭和9年3月1日発行)の広告欄。当時の乳製品ラインナップがわかる
1933(昭和8)年8月発行の第2号に掲載されたコラム「牧場之便り」の筆者は、「牧童」さん。「野辺に亦(また)山へ初春の緑草を求めて 日中は放牧に時を過し 夕方西の空に陽が没し 夜露の降る午後七時頃 胃袋へ緑草をうんと詰込み 呼吸をはずませて居る牛を追ふて 牧場へ帰るのが常でした」と記し、ヨーロッパを思わせる牧歌的な生産風景を伝えています。
1934(昭和9)年当時の時任農場の商品ラインナップは「高級ゼルシイ牛乳 小児用均質牛乳 普通牛乳 脱脂牛乳 トキトーバター トキトークリーム」とあります。話題豊富な時任農場ですが、1938(昭和13)年6月、戦時下の市乳(飲用牛乳の販売)事業の統制によって、事業一切が北海道製酪販売組合連合会(酪連、後の雪印乳業)に譲渡され、姿を消しました。
 【参考文献】
北海道立種畜場沿革史 上巻1957年
「函館市史資料集」1958年
函館市時任町町会創立50周年記念誌 2008年
齋藤與一郎「非魚放談」1957年
農商務省農務局 「日本内地二於ケル乳製品ト肉製品 大正7年2月」(畜産彙纂 第50,62,71)
農商務省農務局「本邦二於ケル乳製品ト肉製品 大正8年3月」
執筆者:小林志歩
ミルクの「現場」との出会いは、モンゴルで一番乳製品がおいしいと言われる高原の村でのことでした。人々はヤク、馬、山羊、羊を手搾りし、多様な乳製品を手作りしていました。出産して母乳の不思議を身体で感じると、地元で見かける乳牛に急に親近感がわきました(笑)。異文化が伝わる過程に興味があり、食文化や歴史をテーマに取材、執筆、翻訳等をしています。好きな乳製品は、生クリームとモッツァレラチーズ。北海道在住。
編集協力:前田浩史
ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事 関連著書:「近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]