第43回 バターのイメージ その2

ミルクの国の食だより 連載一覧

コラム、「ミルクの国の食だより」の第43回をお送りします。
前回に続き、バターの食文化の話題です。その昔、「価値のないもの」の比喩だったバターは、次第に「富の象徴」となっていきます。

復活祭と食の節制期間「四旬節」

草木や新しい命が芽吹く春。フランスの春は復活祭(イースター)とともにやってきます。
復活祭(仏語Pâques パック)は、キリストの復活を祝う、キリスト教の最も重要な祭日とされ、クリスマスと同じくらい町中が華やぎます。
春分の後、最初の満月の次の日曜日で、2017年は4月16日が復活祭にあたります。
復活祭を控えたこの時期は「四旬節」といって、カトリック教会では食の節制期間にあたり、肉はもちろん、卵、乳製品といった動物性食品を摂ってはならないとされています。
そのため中世の頃は、四旬節に植物油のオリーブ油が必要不可欠な食品だったわけですが、オリーブの栽培が不可能な地域では入手困難、まして希少品だったオリーブ油は庶民には届きません。
そこでバターの登場となります。
■ 復活祭はキリストの復活を祝う日ではあるが、もともとは春の訪れで日が延び、暖かくなったことを喜ぶ古い風習が元になっている。3月中旬にはリヨンでも桜が開花

「四旬節」とバター

ヨーロッパでこれまで貧しい人が食べるものとされてきたバターは、4世紀以降、ゲルマン民族の大移動を機に大きく様変わりしました。
ゲルマン人の食文化で、彼らの征服を受けた地域から定着し始めたバター。そういった地域では、貴族や富裕層がすでにバターに慣れ親しんでいました。
そしてこのようなお金持ちたちは四旬節の間においても、教会から贖宥状を”買う”ことでバターを食べることができていたそうです。
こういった信徒の喜捨に応じた教会の態度が後に批判され、16世紀に宗教改革が湧き起こり、これよりオリーブ油がバターより高価な地域においては、四旬節にはバターを利用してもよいと正式に認められました。
この時からバターは、当座しのぎのオリーブ油の代用として庶民にも利用され、ヨーロッパ北部の牛乳生産地である寒冷な国々に普及し、その後、灌漑と畜産技術の向上により生産量も増え、17世紀には肉や魚料理にもよく使われるようになりました。
■ その昔はオリーブ油より価値がないとされたバター。貴族から庶民の食卓にまでバターが普及したのはフランス宮廷の影響といわれている 

”Mettre du beurre dans les épinards” =「ほうれん草にバターをのせる」(直訳)…その意味は?

フランス宮廷ではルイ14世の時代、それまで贅沢の象徴だった香辛料を利かせた料理が減り、バターをふんだんに使ったまろやかな味のものが好まれるようになりました。
今日、フランス料理に欠かせない様々なソースのベースが生まれたのもこの時期です。
バターを使ったフランス風の新しい料理の手法は、ヨーロッパ諸国の王侯貴族にも取り入れられるようになり、バターは上流階級のもの、贅沢なもの、というイメージが持たれるようになったようです。
こういった時代背景から生まれたのが、
”Mettre du beurre dans les épinards(ほうれん草にバターをのせる)”。「生活が改善される」という意味で使われる慣用句です。
ほかにも、
”faire son beurre (自分のバターを作る)”=金持ちになる、利点を活用する
”vouloir le beurre et l’argent du beurre (バターとバターを売ったお金がほしい)”=どちらかを選ばなければならない
など、バターを富の象徴とする格言がいくつも生まれました。
西洋では時に生活を表す言葉として「バター」が用いられることがあります。
時代や地域を越えて眺めると、ずいぶん違った扱い方をされてきたバター。
そのひとつひとつの意味を確認していくことは、食文化の裏側にある民族史、宗教、風俗といった社会の時局をひも解いていくことにほかなりません。
今日の食生活において多様な顔をもつバターの奥深さを物語っているようです。
■ フランスではほうれん草は葉部分しか食べない。細かく刻んでピュレのようにくたくたにして食べられているが、味付けにバターやクリームは欠かせない。四旬節でバターが使えない時代はなんとも粗末な味だったに違いない
管理栄養士 吉野綾美
1999年より乳業団体に所属し、食育授業や料理講習会での講師、消費者相談業務、牛乳・乳製品に関する記事執筆等に従事。中でも学校での食育授業の先駆けとして初期より立ち上げ、長年講師として活躍。2011年退職後渡仏、現在フランス第二の都市リヨン市に夫、息子と暮らす。