【神奈川編】
第3回 老舗ホテルと牛乳

にほんの酪農・歴史さんぽ 連載一覧

幕末、開港と同時にやって来た西欧の人々は、横浜の外国人居留地を拠点に、次第にその行動範囲を広げていきました。交流の「最前線」に位置する神奈川では、肉や牛乳の需要が急増します。近隣の村では乳牛を育て、市街地の牛乳店に貸し出す「貸し牛」が行われるようになりました。大消費地に近く、豊かな山と海に抱かれたこの地で、人々はどのようにして酪農に取り組んできたのでしょうか。地域に残る資料をたよりに、その過程をたどります。

第3回 老舗ホテルと牛乳

明治の「インバウンド」

幕末のうちは、外国人は日本のどこでも自由に歩けたわけではありませんでした。居留地とその周囲10里(約40キロメートル)四方と定められた遊歩区域の外側への立ち入りは禁じられ、区域外の箱根に足を踏み入れることができたのは外国の公使や外交官など一部の人でした。
明治に入り「湯治」、つまり療養目的の温泉旅行が許可されると、1869(明治2)年にイギリス軍艦の船将や士官、商人のウインスタンレーらが宮ノ下を訪れました。評判は瞬く間に広がり、翌年には180人もの外国人が湯治目的で、箱根への旅行を許可されたそうです。
1878(明治11)年7月に箱根駅を訪れたオーストリアの軍人クライトナーは、少々不機嫌だったようです。「食料品を買い込むことができないのは一目でわかった。たしかに日本人は牛乳もバターも口にしないが、商売気を出して、こういう類の商品を置く施設を備えておいてもよさそうなものである」と、1881年に出版した著書に記しています。
記述によれば、箱根には10人ほどのヨーロッパ人が避暑に来ており、イギリス公使館書記官の「別荘」で快適に過ごしたといいます。地元の住民らがヨーロッパ人客に雇われて使い走りをしたり、食料品を横浜から運んだりして暮らしているとも記述しました。

牛乳あります

1884(明治17)年に発行された英語のガイドブックの箱根駅に関する項目に、こんな記述があります。
「主な旅館では西洋の品物や酒を販売しており、夏の間はパンや牛肉、牛乳なども手に入る」『A Handbook for Travelers in Central and Northern Japan』(第2版、1884年刊。明治日本旅行案内)
この記述は初版にはなく、ロンドンのマレー社のガイドブックとして改訂された際に追加された情報です。耕牧舎の開設時期とも重なっています。箱根には新鮮な牛乳がある———これは、牛乳好きのヨーロッパ人にとって、特筆すべきことでした。
ガイドブックに必ず紹介されたのが、宮ノ下のふたつのホテルです。クライトナーが箱根を訪れた1878(明治11)年、この地で初めての外国人向けホテルとして開業したのが、アメリカ帰りの山口仙之助が創業した富士屋ホテルです。もうひとつは純日本式の奈良屋旅館でした。
箱根湯本駅前から、スイーツや土産を売る店が並ぶ市街地を抜け、カーブの続く街道をバスに揺られること20分あまり。レトロな雰囲気が漂う写真店や工芸品店を過ぎたところで、バスが止まりました。バス停の名は「ホテル前」。石づくりの門柱のむこうに、壮麗な和洋折衷の富士屋ホテルの本館が見えました。
  • 富士屋ホテルの本館

創業者と牛

「うちのホテルは、牛とは創業以来の切っても切れないご縁があるのです」。富士屋ホテルのマネージャー、植野高久さんは言います。
ホテルの沿革史によると、創業者・山口仙之助は神奈川県大根村の漢方医の家に生まれで、10歳で横浜の山口家の養子になり商業に従事しました。1871(明治4)年、20歳で志を抱いてアメリカ行きの船に乗りました。アメリカ到着後は思うようにいかず、皿洗いも経験した後、牧畜がわが国にとって有益で急務だとの思いから、3年間の貯金をはたいて7頭の種牛を買い入れて、牛を連れて帰国したということです。帰国後、牧畜を始めるには時期尚早として、牛を駒場勧業寮に売却して断念します。慶應義塾に入学しますが、福沢諭吉に「お前の性質では今後学問を勉強するより、寧ろ実業界に投じて一旗挙げたほうがよい」と諭され、1877(明治10)年、外国人専門の旅館経営を志して、富士屋旅館を買収し、翌年に「富士屋ホテル」として開業にこぎつけたと記されています。「曾て皿洗ひによつて得た若干の金は種牛に変じ、種牛は更に富士屋ホテルと化したのである」(富士屋ホテル八十年史)。
本家本元の「学問のすゝめ」ならぬ、実業のすすめによって、というのが何とも面白いです。
  • 「富士屋ホテル 八十年史」より

地名は語る

1887(明治20)年5月出版の『The Tourist‘s Guide Book』に掲載された富士屋ホテルの広告に、こんな一節がありました。
The Butter, Milk and other Materials used in the Kitchen guaranteed Fresh and Pure.
(バターや牛乳、厨房で使用するそのほかの食材は、新鮮で純粋なものであることを保証いたします)
この年、山口の働きかけが実り、塔ノ沢から宮ノ下まで人力車が通行可能な新道が完成。それまでは、いくつもの険しい坂道が人力車すら寄せ付けなかったのです。時を同じくして、横浜-国府津間の鉄道が開通し、翌1888(明治21)年には国府津—湯本間に小田原馬車鉄道が営業を開始しました。まさに交通機関の大革命でした。
耕牧舎の牛乳を仕入れていた富士屋ホテルは、温泉客の需要にこたえるために、1890(明治23)年、25坪の牛舎一棟を建て、自前で牛乳搾取販売出張所を始めました。
「富士屋ホテル八十年史」(1958年)には、「これが今日宮ノ下に俗称牛小屋の地名がある所以である」とあります。「今日」といっても、出版から約70年。地名は今も残っているでしょうか。散策マップに目を凝らすと、“Ushigoya bridge”の文字がありました。通り沿いのカフェで道順を教わり、国道1号線の坂道を上ると、小道の先に、地名の刻まれた橋がありました。この近辺で確かに乳牛が飼われていたのですね。
80年史に収録された、1907(明治40)年のワインリストに目を凝らしてみました。炭酸水などの項目に、Milkの文字が見えます。1937(昭和12)年のメニューにも、「ジンジャエール」、「トニクウォター」、「リボンシトロン」などに交じって「ミルク(一グラス)」とありました。「グラス」ということは、湯上りの温泉客によく冷えた新鮮な1杯が喜ばれていたことでしょう。
  • 明治40年のドリンクメニュー(「富士屋ホテル八十年史」より)

ゴルフ場に牧場が

箱根に来るなら、連休明けにぜひ——。5月中旬、さまざまな木々の葉と草、歳月を重ねた幹にからみつく蔦や苔が織りなす新緑のグラデーションが鮮やかです。頭上の木々が織りなすトンネルをくぐり抜け、仙石ゴルフコースに向かいました。
「まもなく“深”緑になります。梅雨入り前のいまがおすすめの時期です」と、富士屋ホテルの植野高久マネージャー。昭和天皇が、皇太子だった1917(大正6)年7月、宮ノ下の御用邸に滞在中に、初めてプレイされた日を開業記念日に定めた伝統あるゴルフコース。その一角にも、かつて牧場があったそうです。
戦況が悪化するなか、2代目社長の山口正造が「富士屋ホテル食糧自給計画」を提案します。1939(昭和14)年、日光金谷牧場より牧牛一頭を入れ、仙石原ゴルフ場内で飼養。翌1940(昭和15)年には、次第に調達が難しくなっていた食材の不足を補い、顧客に満足してもらおうと、牛舎を増築して北海道より牝(雌)牛6頭を入れ、4頭をゴルフ場に、2頭を河口湖畔の富士ビューホテルで飼い始めたのです。ほかに鶏の白色レグホン二百羽や大正期に始めた豚舎も移し、「自給自足の有畜ホテル」となりました。
この年4月、富士ビューホテルが支配人名で関係方面に発送した案内状には、こんな文言がありました。「国策の線に沿ひ、近頃ホテル内に乳牛の飼育を始めまして、毎日搾りたてのミルクを食卓に供して御好評を頂いております。野菜類はホテル農園より、鶏卵はホテル養鶏場より、何から何までフレッシュな品を差上ぐるのが自慢で御座います…」
同じ頃、仙石原では、希望に応えて例年より早い4月10日にゴルフコースをオープン。シーズンインを伝える案内状は、「農園にては乳牛、食用豚、鶏など飼育いたしております。ご来場の折是非共御覧くださいませ」と締めくくられていました。
  • クラブハウスには、かつて使用されていた輸送缶が展示されていた
社史によると、食糧事情は悪化の一途をたどり、飼料不足で牛が倒れる事態となりました。一般の酪農家も牛の頭数を減らさざるを得ず、病人や子ども用の牛乳さえ不足していました。ホテルでは箱根全山の病人子ども用の牛乳を確保し、配給しようとの考えで頭数を増やし牛乳を増産したといいます。
1945(昭和20)年3月になると、神奈川県の方針を受けてゴルフコース内で食糧増産のための開墾が始まりました。トラクターを供出したため、芝刈りもすべて馬力となり、コース維持も困難になっていったそうです。
敗戦から1か月余りたった同年10月1日、本館に米軍の兵士20人がやって来て、15日よりホテルを接収する旨を通告します。富士屋ホテルは、占領軍専用のレストホテルに、ゴルフクラブも連合国軍将兵と家族のレクレーション施設とされました。
  • 1968年まであった牧場                    現在の牧場跡地
ホテル本館の地階に、ホテルの歴史を伝えるミュージアムがあります。戦前に使用された調度品の数々やホテルに滞在した著名人の写真や、建築やデザインについて興味深い展示を、無料で楽しむことができます。
「喜劇王チャップリンが来館した折には、地元の人達が一目見ようと大勢待ち構えていたらしいです。しかし映画で見るお決まりのハットや衣装でなく、白いベストのラフないで立ちだったため、誰も気づかなかったそうです」。ヘレン・ケラーやジョン・レノンとヨーコ夫妻も滞在した老舗ホテルで、歴史と出会ってみませんか。
  • 歴史を伝えるホテル内のミュージアム
 【参考文献】
 富士屋ホテル「富士屋ホテル八十年史」1958年
 富士屋ホテル「富士屋ホテル仙石ゴルフコース百年史」2017年
 箱根町立郷土資料館「外国人の見たHakone-避暑地箱根の発見」1997年
※この記事の文章、写真等は無断転載不可。使用したい場合は(一社)Jミルクを通じ、筆者、所蔵者にお問い合わせください。
執筆者:小林志歩
モンゴル語通訳及び翻訳者、フリーライター
関連書籍 ▶ ロッサビ・モリス「現代モンゴル—迷走するグローバリゼーション」(訳)[明石ライブラリー2007年]
ミルクの「現場」との出会いは、モンゴルで一番乳製品がおいしいと言われる高原の村でのことでした。人々はヤク、馬、山羊、羊を手搾りし、多様な乳製品を手作りしていました。出産して母乳の不思議を身体で感じると、地元で見かける乳牛に急に親近感がわきました(笑)。異文化が伝わる過程に興味があり、食文化や歴史をテーマに取材、執筆、翻訳等をしています。好きな乳製品は、生クリームとモッツァレラチーズ。
編集協力:前田浩史
ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事 、日本酪農乳業史研究会 常任理事
関連著書 「酪農生産の基礎構造」(共著)[農林統計協会1995年]、「近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]