
幕末、開港と同時にやって来た西欧の人々は、横浜の外国人居留地を拠点に、次第にその行動範囲を広げていきました。交流の「最前線」に位置する神奈川では、肉や牛乳の需要が急増します。近隣の村では乳牛を育て、市街地の牛乳店に貸し出す「貸し牛」が行われるようになりました。大消費地に近く、豊かな山と海に抱かれたこの地で、人々はどのようにして酪農に取り組んできたのでしょうか。地域に残る資料をたよりに、その過程をたどります。
第9回 わがまちの牛乳を ~伊勢原・茅ケ崎
伊勢原では明治期から乳牛が飼われており、中でも旧高部屋村は、昭和の戦前において神奈川県内屈指の酪農村でした。ピーク時の1984(昭和59)年には、160戸の農家が飼養する乳牛は4,440頭を数えました。
戦前の農家経営
神奈川県と高部屋村の農会(現在の農業協同組合)が作成した「有畜農業経営事例」(1937年)という資料から、今から90年前の1936(昭和11)年における、日向の農家・和田幸吉の経営の舞台裏をのぞいてみましょう。
当時の和田家の収入源は、耕種(稲作や畑作のこと)と畜産、そして養蚕でした。男性3人、女性2人の家族5人が労働に従事しており、「労力自給率100%」とあります。当時は、家族の力を結集して一丸となって働くことが推奨されていたのでしょう。
二毛作を行う水田が2反(20アール)、畑と樹園地が合わせて10反(1ヘクタール)あまりの農地で、米や大麦、小麦、甘藷、馬鈴薯、大根、青刈燕麦、里芋などを作付していました。畜力の利用は年間わずか「二日(借入)」のみとあり、農作業のほとんどが手作業だったと見られます。
この規模で、乳牛(成牛)を5頭飼養していました。年間の収入を見ると、耕種が1,749円、畜産が2,483円、養蚕が916円となっており、乳牛がもたらす「畜産収入」が最も大きかったことがわかります。酪農が農家経営を力強く支えていたのです。
畜産収入の内訳をさらに詳しく見ると、仔牛1頭34円、「娘牛(出産を経験していない若い牝牛)」1頭を150円で販売したほか、11,916キログラムの牛乳販売が777円、貸し牛の乳代として2頭分で188円などを得ていました。
資料の余白には、おそらく経営者本人の手によるものでしょうか、「飼育ハ出来得ルカギリ婦女子子供ニタンニンサス」と書き添えてありました。機械化が進んでいなかった当時、力仕事の多い畑作などや飼料づくりを男性が担い、細やかなケアが必要な牛の世話や搾乳は女性や子ども達が担当するという、家族内での役割分担が行われていたと見られます。
牛のエサ(飼料)は、乾草、生草、藁、青刈燕麦、唐黍、米糠など、229円分を自給し、購入する飼料は麬、大豆粕、豊年バラ粕(大豆粕の銘柄)など421円でした。調査者のコメントに「飼料作物の栽培、緑肥作物の利用、さては山草、青木の葉の利用等を工夫し、飼料費を35%まで自給をすることを得てゐる」とあります。労をいとわず、飼料の自給とコスト削減に励んでいた姿勢が伝わってきます。
当時の和田家の収入源は、耕種(稲作や畑作のこと)と畜産、そして養蚕でした。男性3人、女性2人の家族5人が労働に従事しており、「労力自給率100%」とあります。当時は、家族の力を結集して一丸となって働くことが推奨されていたのでしょう。
二毛作を行う水田が2反(20アール)、畑と樹園地が合わせて10反(1ヘクタール)あまりの農地で、米や大麦、小麦、甘藷、馬鈴薯、大根、青刈燕麦、里芋などを作付していました。畜力の利用は年間わずか「二日(借入)」のみとあり、農作業のほとんどが手作業だったと見られます。
この規模で、乳牛(成牛)を5頭飼養していました。年間の収入を見ると、耕種が1,749円、畜産が2,483円、養蚕が916円となっており、乳牛がもたらす「畜産収入」が最も大きかったことがわかります。酪農が農家経営を力強く支えていたのです。
畜産収入の内訳をさらに詳しく見ると、仔牛1頭34円、「娘牛(出産を経験していない若い牝牛)」1頭を150円で販売したほか、11,916キログラムの牛乳販売が777円、貸し牛の乳代として2頭分で188円などを得ていました。
資料の余白には、おそらく経営者本人の手によるものでしょうか、「飼育ハ出来得ルカギリ婦女子子供ニタンニンサス」と書き添えてありました。機械化が進んでいなかった当時、力仕事の多い畑作などや飼料づくりを男性が担い、細やかなケアが必要な牛の世話や搾乳は女性や子ども達が担当するという、家族内での役割分担が行われていたと見られます。
牛のエサ(飼料)は、乾草、生草、藁、青刈燕麦、唐黍、米糠など、229円分を自給し、購入する飼料は麬、大豆粕、豊年バラ粕(大豆粕の銘柄)など421円でした。調査者のコメントに「飼料作物の栽培、緑肥作物の利用、さては山草、青木の葉の利用等を工夫し、飼料費を35%まで自給をすることを得てゐる」とあります。労をいとわず、飼料の自給とコスト削減に励んでいた姿勢が伝わってきます。
酪農村は今
「自分が子どもだったころは、この辺りはみんな酪農をやっていたんだよ」
伊勢原市西富岡の酪農家・荒井新吾さんに、1996(平成8)年に撮影された牧場の航空写真を見せてもらいました。そこには、先代が5頭の牛小屋から増築したという、赤い屋根の牛舎が写っていました。「親父がタバコをくわえて、牛にブラシをかけていた姿が記憶にある。牛が好きな人だった」。
数年前に開通した新東名高速道路の巨大な高架を仰ぐ荒井さんの採草地には、早春の2月下旬だというのに、すでに牧草が青々と茂っていました。秋に収穫したデントコーン畑の「裏作(二毛作)」。出来る限り、飼料を自給することを目指しています。
「酪農村」と言われた旧高部屋地区で、現在も牛乳を生産する農家は4軒のみだそうです。伊勢原市全体でも20戸になりました。
伊勢原市西富岡の酪農家・荒井新吾さんに、1996(平成8)年に撮影された牧場の航空写真を見せてもらいました。そこには、先代が5頭の牛小屋から増築したという、赤い屋根の牛舎が写っていました。「親父がタバコをくわえて、牛にブラシをかけていた姿が記憶にある。牛が好きな人だった」。
数年前に開通した新東名高速道路の巨大な高架を仰ぐ荒井さんの採草地には、早春の2月下旬だというのに、すでに牧草が青々と茂っていました。秋に収穫したデントコーン畑の「裏作(二毛作)」。出来る限り、飼料を自給することを目指しています。
「酪農村」と言われた旧高部屋地区で、現在も牛乳を生産する農家は4軒のみだそうです。伊勢原市全体でも20戸になりました。
プロジェクト始動
そんな中、地域ブランドとして誕生したのが「いせはら地ミルク」です。始まりは、2014(平成26)年、地元の酪農協同組合の総会後の宴席での、荒井さんのことばでした。
知り合いから、『お前の生産した牛乳はどこで飲めるんだ?」と聞かれても答えられない。エサや飼い方にこだわった、これが自分たちの生産した牛乳だと胸を張って言える、いせはら産の牛乳が作りたい。そういうものがあれば、後継者もやりがいを感じて続けられるんじゃないか——。
この言葉に共感したのが、神奈川県畜産技術センターの仲澤慶紀さんです。それまで、生産者が販売まで手がける「六次化」や地域ブランドづくりに携わった経験から、「チームをつくって一生懸命取り組めば、うまくいくのでは」と感じたといい、とっさに、「荒井さん、できますよ」と応じました。
こうして、商品化へのプロジェクトが始動します。伊勢原市役所もバックアップし、消費者を代表してプロジェクトに参加する市民を公募しました。手を挙げた牛乳好きの主婦やお年寄り、親子ら10人を交えて、目指す地域の将来像から、話し合いを重ねました。「後継者が安心して継承できる」「飼料を栽培して自給する」「インターで地域の産業をPRしたい」などの意見が出て、その真ん中に地元の生産者限定の「地ミルク」をつくろう、との方向性が定まりました。
そして2017(平成29)年、横浜に本社を置くタカナシ乳業株式会社の協力を得て、ついに商品化が実現したのです。180ミリリットル入りのガラス瓶には、伊勢原のシンボルである「大山」と乳牛、そして飼料の一部として利用されている「湘南小麦」のイラストがあしらわれ、市内のスーパーやコンビニの店頭に並びました。
2024(令和6)年11月には、3軒の生産者からの寄付により、伊勢原市内の小学校給食のシチューの材料として、この「いせはら地ミルク」が使われました。「子どもたちや先生方がおいしかったと言ってくれた。やっぱり嬉しいよね」と荒井さんは目を細めました。さらに2025(令和7)年には、横浜駅前の人気イタリアンレストランにおいて、この地ミルクを原料とした店内工房製の「ブッラータチーズ」のパスタが提供され話題になりました。
知り合いから、『お前の生産した牛乳はどこで飲めるんだ?」と聞かれても答えられない。エサや飼い方にこだわった、これが自分たちの生産した牛乳だと胸を張って言える、いせはら産の牛乳が作りたい。そういうものがあれば、後継者もやりがいを感じて続けられるんじゃないか——。
この言葉に共感したのが、神奈川県畜産技術センターの仲澤慶紀さんです。それまで、生産者が販売まで手がける「六次化」や地域ブランドづくりに携わった経験から、「チームをつくって一生懸命取り組めば、うまくいくのでは」と感じたといい、とっさに、「荒井さん、できますよ」と応じました。
こうして、商品化へのプロジェクトが始動します。伊勢原市役所もバックアップし、消費者を代表してプロジェクトに参加する市民を公募しました。手を挙げた牛乳好きの主婦やお年寄り、親子ら10人を交えて、目指す地域の将来像から、話し合いを重ねました。「後継者が安心して継承できる」「飼料を栽培して自給する」「インターで地域の産業をPRしたい」などの意見が出て、その真ん中に地元の生産者限定の「地ミルク」をつくろう、との方向性が定まりました。
そして2017(平成29)年、横浜に本社を置くタカナシ乳業株式会社の協力を得て、ついに商品化が実現したのです。180ミリリットル入りのガラス瓶には、伊勢原のシンボルである「大山」と乳牛、そして飼料の一部として利用されている「湘南小麦」のイラストがあしらわれ、市内のスーパーやコンビニの店頭に並びました。
2024(令和6)年11月には、3軒の生産者からの寄付により、伊勢原市内の小学校給食のシチューの材料として、この「いせはら地ミルク」が使われました。「子どもたちや先生方がおいしかったと言ってくれた。やっぱり嬉しいよね」と荒井さんは目を細めました。さらに2025(令和7)年には、横浜駅前の人気イタリアンレストランにおいて、この地ミルクを原料とした店内工房製の「ブッラータチーズ」のパスタが提供され話題になりました。
生産と加工の「両想い」
お隣の茅ヶ崎市でも、地域産の牛乳の価値を高める取り組みが進んでいます。
茅ヶ崎市甘沼で牧場を営む柿澤博さんが、乳牛を地域の小学校に連れていき、子どもたちに搾乳体験をしてもらう活動を始めたのは2005(平成17)年のことでした。当初は学校の父親の集まりである「おやじの会」の有志による活動でしたが、やがて同市の酪農・畜産農家でつくる畜産会に受け継がれ、現在も多くの幼稚園や小学校を訪れての「ふれあい体験」が続けられています。
今年2月、同じく甘沼の酪農家、沼上勝忠さんが、乳牛一頭をトラックに載せて同市立今宿小学校を訪れました。3年生と特別支援学級(ぽぷら級)の子どもたちが、初めての搾乳に挑戦しました。家族経営の忙しい日々のなかで、乳牛を学校まで連れていくのは大変ではないですか、と沼上さんに尋ねると、「べつに大変ってことはないですよ。学校も近いからね」とこともなげに答えて下さいました。
茅ヶ崎市甘沼で牧場を営む柿澤博さんが、乳牛を地域の小学校に連れていき、子どもたちに搾乳体験をしてもらう活動を始めたのは2005(平成17)年のことでした。当初は学校の父親の集まりである「おやじの会」の有志による活動でしたが、やがて同市の酪農・畜産農家でつくる畜産会に受け継がれ、現在も多くの幼稚園や小学校を訪れての「ふれあい体験」が続けられています。
今年2月、同じく甘沼の酪農家、沼上勝忠さんが、乳牛一頭をトラックに載せて同市立今宿小学校を訪れました。3年生と特別支援学級(ぽぷら級)の子どもたちが、初めての搾乳に挑戦しました。家族経営の忙しい日々のなかで、乳牛を学校まで連れていくのは大変ではないですか、と沼上さんに尋ねると、「べつに大変ってことはないですよ。学校も近いからね」とこともなげに答えて下さいました。
-

指の使い方を酪農家に教わり、子どもたちが乳搾りに挑戦した「ふれあい体験」
(茅ヶ崎市提供)
「子どもたちの反応がモチベーションかな。ペットを飼っている子もいるし、動物にさわる経験はあっても、乳搾りは初めてだから。『わぁ、あったかい』って言ってくれる」。海岸近くの住民のなかには、市内に乳牛がいることを知らない人もいて、知ってもらう良い機会になっているそうです。
長年、地域住民に開かれた、アットホームな形で牧場を営んだ柿澤さんは言います。「牧場を訪れた人が『ここの牛乳を飲んでみたい』と言ってくれても、どうぞ、と出せる自前の牛乳がない。かといって、自ら加工販売する六次化はハードルが高かった」。そんななか、「地元産の生乳でアイスクリームを作りたい」と考えて市役所に相談していた、市内のアイスクリーム店「プレンティーズ」の長谷川裕さんとの出会いがありました。
願ったり、かなったり、と思いきや、柿澤さん曰く「生産した牛乳を自前で販売することは難しいのでは、との思いから、5年くらいは構想が『塩漬け』になっていたんです」。
転機が訪れたのは、2021(令和3)年、平塚市のJA湘南直売所が地元の牛乳でジェラートを販売しているのを視察したことでした。「できるんだ!とわかってからは、速かった。その年のうちに出荷が始まりました」。やがて、長谷川さんから牛乳を商品化したいと提案があり、2024(令和6)年、茅ヶ崎市内の酪農家の生乳のみでつくる「湘南ちがさきMILK」が誕生します。
搾乳体験の日、子どもたちに、もうひとつのお楽しみが用意されました。この日の給食では、今宿小学校の全校生徒に、湘南ちがさきMILKが提供されたのです。
柿澤さんは言います。「直売所に行くと、生産者の名前の入った野菜が買えるでしょう。牛乳も、顔が見えるものにできるかも知れない」。
子どもたちはきっと、酪農家さんの様子や、やさしく、のんびりした牝牛の顔や温もりを思い浮かべながら、特別な一杯を味わったことでしょう。
長年、地域住民に開かれた、アットホームな形で牧場を営んだ柿澤さんは言います。「牧場を訪れた人が『ここの牛乳を飲んでみたい』と言ってくれても、どうぞ、と出せる自前の牛乳がない。かといって、自ら加工販売する六次化はハードルが高かった」。そんななか、「地元産の生乳でアイスクリームを作りたい」と考えて市役所に相談していた、市内のアイスクリーム店「プレンティーズ」の長谷川裕さんとの出会いがありました。
願ったり、かなったり、と思いきや、柿澤さん曰く「生産した牛乳を自前で販売することは難しいのでは、との思いから、5年くらいは構想が『塩漬け』になっていたんです」。
転機が訪れたのは、2021(令和3)年、平塚市のJA湘南直売所が地元の牛乳でジェラートを販売しているのを視察したことでした。「できるんだ!とわかってからは、速かった。その年のうちに出荷が始まりました」。やがて、長谷川さんから牛乳を商品化したいと提案があり、2024(令和6)年、茅ヶ崎市内の酪農家の生乳のみでつくる「湘南ちがさきMILK」が誕生します。
搾乳体験の日、子どもたちに、もうひとつのお楽しみが用意されました。この日の給食では、今宿小学校の全校生徒に、湘南ちがさきMILKが提供されたのです。
柿澤さんは言います。「直売所に行くと、生産者の名前の入った野菜が買えるでしょう。牛乳も、顔が見えるものにできるかも知れない」。
子どもたちはきっと、酪農家さんの様子や、やさしく、のんびりした牝牛の顔や温もりを思い浮かべながら、特別な一杯を味わったことでしょう。
-

ノンホモ・低温殺菌にこだわった、プレンティーズの湘南ちがさきMILKとソフトクリーム。2025年にオープンした道の駅湘南ちがさきでも人気
地域の牛乳を
2月下旬の連休。伊勢原市の中央公民館まつりの会場に、「いせはら地ミルク」を生産する3人の酪農家さんたちの顔がそろいました。おそろいの法被を着て、自らブースに立ち、手渡しで販売します。地元の子どもや熱心なファンが次々とブースを訪れ、用意していた250本は何と午前中のうちに完売となりました。手のひらにおさまる、何とも温かみのある地域限定のびん牛乳。ぐいっと飲むと、まず濃厚なクリームの層の味わい。そして、さわやかでもう一口、もう一口とあっという間に飲み終えてしまいます。コーヒーに入れるのもおすすめだよ、と生産者の三野さん。「昔飲んでいた生の牛乳に近いね」。年輩の男性は、かつて一升瓶で農家に牛乳を買いに行ったもんだよ、と懐かしそうに思い出を語りました。
しかし、残念ながら、「いせはら地ミルク」は、2026(令和8)年3月末で、生産・販売を終了しました。
地域で生産された牛乳を、地域の人が飲む———かつては、それ以外の選択肢はなく、当たり前の日常風景でした。コールドチェーンの普及が可能にした、牛乳の生産と流通の効率化がすすむなか、その行きつく先が気になります。もし地域の牛乳を飲むという選択肢が消えてしまったとしたら、牛乳が本来持つ価値のいくらかが、そこなわれてしまいはしないか?昔も今も変わらず、夜明けの牛舎で牛と向き合う酪農家さんの太い指を見ながら、そんなことを考えました。
「どこの牛乳がおいしいの、とよく聞かれるんだけど、ちかま(近場)がおいしい、って答えるんだ」と荒井さん。神奈川県内の酪農家の生産した生乳は、毎朝牧場から集められ、工場でスピーディーに加工されます。
神奈川県内の酪農家の数は現在83戸、令和に入って半減しました。農地が限られている都市近郊において、飼料を自前で生産する余地はなく、飼料価格の高騰が経営を圧迫し続けています。現在県内に6社ある乳業の工場も統合がすすみます。
次の一手をたずねると、これだよ、と荒井さんが指さした先には、「カナミルくん」の認証マークがありました。
地域で生産された牛乳を、地域の人が飲む———かつては、それ以外の選択肢はなく、当たり前の日常風景でした。コールドチェーンの普及が可能にした、牛乳の生産と流通の効率化がすすむなか、その行きつく先が気になります。もし地域の牛乳を飲むという選択肢が消えてしまったとしたら、牛乳が本来持つ価値のいくらかが、そこなわれてしまいはしないか?昔も今も変わらず、夜明けの牛舎で牛と向き合う酪農家さんの太い指を見ながら、そんなことを考えました。
「どこの牛乳がおいしいの、とよく聞かれるんだけど、ちかま(近場)がおいしい、って答えるんだ」と荒井さん。神奈川県内の酪農家の生産した生乳は、毎朝牧場から集められ、工場でスピーディーに加工されます。
神奈川県内の酪農家の数は現在83戸、令和に入って半減しました。農地が限られている都市近郊において、飼料を自前で生産する余地はなく、飼料価格の高騰が経営を圧迫し続けています。現在県内に6社ある乳業の工場も統合がすすみます。
次の一手をたずねると、これだよ、と荒井さんが指さした先には、「カナミルくん」の認証マークがありました。
神奈川県産の牛乳を100%使用した製品であることを示す、かながわ酪農活性化対策委員会による認証制度だそうです。よこすか関口牧場牛乳(横須賀市)、きんたろう牛乳(タカナシ乳業)など5社の牛乳をはじめ、チーズやアイスクリームなど33製品が認証されています(2026年1月現在)。
「湘南の海や箱根、神奈川は放っておいても全国から人が来てくれるところだからね。83軒がその気になれば、地元の新鮮な牛乳を生かした展開や商品化がきっとできる。そんな野望を持ってるよ」。83軒しか、でなく、83軒も、である。コップのなかのミルクを、「もうこれだけしかない」とあきらめるか、「まだこれだけある」と未来に希望をつなぐか———。
「厳しい状況のなかで何とか残った人たちが、続けていく方向性を見いだしたい」。荒井さんの眼は将来を向いています。
都市化の波に揉まれながらも、先人たちのバトンを大切に繋いできた神奈川の酪農。牛乳に地域性を取り戻す取り組みが続いています。
「湘南の海や箱根、神奈川は放っておいても全国から人が来てくれるところだからね。83軒がその気になれば、地元の新鮮な牛乳を生かした展開や商品化がきっとできる。そんな野望を持ってるよ」。83軒しか、でなく、83軒も、である。コップのなかのミルクを、「もうこれだけしかない」とあきらめるか、「まだこれだけある」と未来に希望をつなぐか———。
「厳しい状況のなかで何とか残った人たちが、続けていく方向性を見いだしたい」。荒井さんの眼は将来を向いています。
都市化の波に揉まれながらも、先人たちのバトンを大切に繋いできた神奈川の酪農。牛乳に地域性を取り戻す取り組みが続いています。
※この記事の文章、写真等は無断転載不可。使用したい場合は(一社)Jミルクを通じ、筆者、所蔵者にお問い合わせください。
< 第8回を読む >
執筆者:小林志歩
モンゴル語通訳及び翻訳者、フリーライター
関連書籍 ▶ ロッサビ・モリス「現代モンゴル—迷走するグローバリゼーション」(訳)[明石ライブラリー2007年]
ミルクの「現場」との出会いは、モンゴルで一番乳製品がおいしいと言われる高原の村でのことでした。人々はヤク、馬、山羊、羊を手搾りし、多様な乳製品を手作りしていました。出産して母乳の不思議を身体で感じると、地元で見かける乳牛に急に親近感がわきました(笑)。異文化が伝わる過程に興味があり、食文化や歴史をテーマに取材、執筆、翻訳等をしています。好きな乳製品は、生クリームとモッツァレラチーズ。
モンゴル語通訳及び翻訳者、フリーライター
関連書籍 ▶ ロッサビ・モリス「現代モンゴル—迷走するグローバリゼーション」(訳)[明石ライブラリー2007年]
ミルクの「現場」との出会いは、モンゴルで一番乳製品がおいしいと言われる高原の村でのことでした。人々はヤク、馬、山羊、羊を手搾りし、多様な乳製品を手作りしていました。出産して母乳の不思議を身体で感じると、地元で見かける乳牛に急に親近感がわきました(笑)。異文化が伝わる過程に興味があり、食文化や歴史をテーマに取材、執筆、翻訳等をしています。好きな乳製品は、生クリームとモッツァレラチーズ。
編集協力:前田浩史
日本酪農乳業史研究会 会長、ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事
関連著書 ▶「日本酪農産業史」(単著)[農文協2025年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]、「近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「酪農生産の基礎構造」(共著)[農林統計協会1995年]
日本酪農乳業史研究会 会長、ミルク1万年の会 代表世話人、乳の学術連合・社会文化ネットワーク 幹事
関連著書 ▶「日本酪農産業史」(単著)[農文協2025年]、「東京ミルクものがたり」(編著)[農文協2022年]、「近代日本の乳食文化」(共著)[中央法規2019年]、「酪農生産の基礎構造」(共著)[農林統計協会1995年]





