keyword search

偶然から生まれ、世界へ広がったチーズ

人間がいつチーズを食べるようになったかは明確には分かりませんが、紀元前4000年ごろと思われる古代エジプトの壁画にはチーズなどの製造法が描かれており、インドでも紀元前3000年のものといわれる「ベーダの賛歌」の中にチーズを勧める歌があります。インドの仏典である涅槃経には、「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥から熟酥を出し、熟酥より醍醐を出すが如し、醍醐最上なり」とあり、五味の最上である醍醐はチーズといわれています。
また、紀元前2000年ごろのアラビアの民話では次のように伝えられています。
「砂漠を行く隊商が、羊の胃袋でつくった水筒に乳を入れ、ラクダの背にくくりつけて旅に出ました。1日の旅を終えて乳を飲もうとすると、出てくるのは水っぽい液体と白い固まりだけ。その白い固まりを食べてみると、それはおいしくて何ともいえない味でした」
このような偶然の出来事がチーズの誕生とされています。水筒に使った羊の胃袋の中にはレンニン(キモシン)という酵素があり、それによって乳が固まり、歩いている間に揺られてチーズになったのでしょう。この原理は、今でもチーズ製造に利用されています。

チーズづくりが重要な産業となったローマ時代

ローマ帝政時代には、チーズづくりはすでに大切な産業になっており、紀元前36年以後には詳細なチーズの製造法が記録されています。チーズの製法は秘伝のような形で伝えられ、特にヨーロッパでは中世の修道院や封建領主によっても守られ、長い歴史の間にそれぞれの地方色豊かなたくさんの種類が生まれました。

日本におけるチーズの歴史

日本では孝徳天皇(在位645~654年)の時代、645年に百済の智聡の息子・善那によって牛乳と酪や酥などの乳製品が天皇家に献上されています。酥は一種のチーズにあたるといわれますが、今の製法と違い、牛乳を煮詰めて固めたもののようです。
醍醐天皇(在位897~930年)の時代には、諸国に命じて酥をつくり天皇に貢進させる「貢酥の儀」を行いました。醍醐天皇は酪農への深い理解者で、「醍醐」という乳に関係した語を天皇の名にしたといわれます。その後、権力が武家に移ると、「貢酥の儀」も行われなくなりました。
江戸時代、8代将軍吉宗(在位1716~1745年)はオランダ人に勧められ、1727年にインドより白牛3頭を入手し、その牛乳から「白牛酪」を製造するようになりました。「白牛酪」は牛乳を煮詰め乾燥させて団子状に丸めたもので、バターという説もありますが、よりチーズに近いものといわれています。60年後の11代家斉(在位1787~1837年)のときには、牛は70頭になりました。

日本における最初のチーズづくり

近代ヨーロッパ型チーズは、1875年に北海道の開拓庁の試験場で初めて試作され、1904年ごろから函館のトラピスト修道院でもつくられるようになりました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、ほとんどが輸入品でした。本格的につくられるようになったのは1933年、北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅にチーズ専門工場をつくってからです。
日本でチーズの消費が急激に伸びたのは、食生活の洋風化や生活水準が向上した1950年後半からです。1975年ごろのピザの普及、1980年ごろのチーズケーキのブームなどナチュラルチーズの消費が広がり、1988年には従来多かったプロセスチーズに加えてナチュラルチーズの消費が多くなりました。2015年の国民1人あたりの年間消費量は2.2kg。ヨーロッパ諸国の消費量と比べると約10分の1ですが、日本人の食生活の中にはチーズが定着し、ナチュラルチーズの特有の風味を楽しむ人が確実に増えてきています。